「恋できない病気かと思った」 元バレー選手、滝沢ななえが家族に同性愛を告白した日
同性のパートナーと幸せな日々を過ごす今、伝えたいこととは
現在、パートナー、そして愛犬と共に暮らす滝沢さん。仕事や恋人との日常、友達との交流など、日々の生活をSNSにまめに投稿している。そこには、「同性のパートナーと楽しく生きている人がいることを伝えたい」、という思いがある。
「この10年で、セクシャル・マイノリティに対する社会の反応は、ずいぶんと変化していると感じます。特に、自分よりも若い世代の方と話をしていると、LGBTQの存在を当たり前に受け止めている、と感じる場面もあります。
でも実際は、悩んでいる人、苦しんでいる人はたくさんいます。私が彼女とワンちゃんとの生活を投稿するのは、セクシャル・マイノリティであっても、それを隠さず、社会で生きている人がいるんだよ、と伝えたいから。同じような立場の方に、苦しまず、生きていける場所があることを伝えたいからです」
近年、スポーツ界でも、セクシャル・マイノリティへの理解が進んでいる。世界的な節目となったのは2014年のオリンピック憲章の改訂。性的指向による差別の禁止が明記され、2016年のリオデジャネイロ五輪・パラリンピックでは、50人を超える選手がセクシャル・マイノリティであることをカミングアウトした。
だからと言って、急にすべての選手が公表に踏み切るわけではない。滝沢さんも、世間にカミングアウトしたのは、引退後だったから、と話す。
「私も現役時代は、メディアで公表したい気持ちはありませんでした。当時は男性のファンもすごく多かったし、公表することで、応援してくれるファンを裏切ってしまう気持ちになっていたんです。
それに、当時はスポーツ選手のLGBTなどに関する事情も知らなかったし、セクシュアリティのことは、自分と、本当に大切な人が知っていればよいことだとも思っていた。そもそも、カミングアウトすることとバレーボール選手であることは、まったく結びつかない別の話、という認識だったんです。
ただ、私がそうでいられたのは、多分、レズビアンであり、性自認も女で、体が女であることに違和感がないからだったと思います。女子チームに入り、女子チームと戦うことに対し、何の疑問もないですから。例えば、もしトランスジェンダーであったら、また考え方が違っていたと思います」
自分はカミングアウトする道を選んだ。でも、皆がカミングアウトすればいい、とは思わない。いちばん大事なのは公表するかしないかではなく、『自分らしくいられる場所』を見つけることだ、と話す。
「私がカミングアウトした後、コーチ時代にバレーボールを教えていた子から連絡が来て、『もしかしたら私も女の子が好きかもしれない』と打ち明けてくれました。その子から『彼女が出来た』と報告されたときは、本当にうれしかった。やっぱり、そうやって誰かに本当の自分を知っていてもらうって、すごく気持ちが楽になるし、大事なことだと思います。
私もそうでした。公の場では、本当の自分を偽って過ごさなければいけなかった。だけど、SNSを通じて出来たレズビアンの友人と、ご飯を食べたりおしゃべりをしたりして過ごしている時間は、ものすごく幸せだった。
だから、『自分らしくいること』って、すごく大事なんですよね。もしかして自分はそうなのかな? と気づいたとき、きっと、悩んだり苦しんだりします。私ももし、十代で気づいたら、もっと悩んだと思います。それでもやっぱり、最終的には自分らしく生きてほしい。
そのためには、家族でも、友人でも、同じ悩みを持つ人でも、誰か一人でいいからわかってくれる人を見つけてほしい。親にも友人にも相談できなかったら、それこそ私でもいい。今の時代は、同じような境遇の方とつながる方法はたくさんあります。少しでも自分らしくいられる場所を、作ることが大事だと思います」
自分の存在が、誰かの居場所の一つであったら嬉しい――。だから滝沢さんは、自分の世界を発信し続ける。自分が自分らしく幸せでいられる、温かい世界を。
滝沢ななえ
たきざわななえ 1987年9月22日生まれ、東京都出身。八王子実践中学・高校と進み、高校2年時に、春高バレーでベスト8進出。卒業後、V・プレミアリーグ、パイオニアレッドウィングス(2006-2009年)に入団。2009年、V・チャレンジリーグ上尾メディックスに移籍し、2013年7月に現役を引退した。その後、バレーボールスクールのコーチをへてパーソナルトレーナーに転身。2019年11月、東京・六本木にパーソナルジム「PERSONS Training Salon」開業する。2017年、出演したテレビ番組で、レズビアンであることを公表。スポーツ界では数少ない、セクシャルマイノリティであることを公表している一人。
(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)