野球ボールを爆弾と怪しまれたイラン監督時代 月収3万円足らず、異文化で戦った日本人
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催期間中、「THE ANSWER」が連日発信している企画「ベースボールの現在地」に登場した独立リーグ茨城アストロプラネッツGMの色川冬馬氏。インタビューの中で掲載できなかった、野球イラン代表監督時代の「こぼれ話」をここで紹介する。
茨城アストロプラネッツ・色川冬馬GMインタビュー「こぼれ話」
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の開催期間中、「THE ANSWER」が連日発信している企画「ベースボールの現在地」に登場した独立リーグ茨城アストロプラネッツGMの色川冬馬氏。インタビューの中で掲載できなかった、野球イラン代表監督時代の「こぼれ話」をここで紹介する。
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現役時代は米国のほか、プエルトリコやメキシコなどでプレーした色川氏。2013年、日本の指導者を求めていたイランに渡り、代表監督となった。
野球人口は「500人いれば良い方」。野球場、スタジアムともに国内に1つしかなく、トップ選手の実力は日本の公立高校の球児レベルだったという。反アメリカの立場から野球を良しとしない政治家もいるほどで、細かいルールに関しては知らない国民がほとんどだった。
カルチャーショックを受けたことも少なくないが、印象に残るのは飛行機移動での出来事。色川氏が尊敬する指導者のサイン入り野球ボールが、空港の手荷物検査で引っかかった。
「これは何だ」。爆弾が入ってるんじゃないかと怪しまれた。「僕にとって大切なもの。丁寧に扱ってくれ」と説明した瞬間、ボールを床に叩きつけられた。「いや、仮に爆弾だったら爆発するだろ……」。驚いたが、それだけ野球が知られていないことを実感した。
就任当時はまだ24歳。若き外国人監督を良く思わない立場の人間から、引きずり降ろそうと画策されたこともある。いかにして信頼を築いていったのか。
「コミュニティに積極的に入る。イランの一般のお宅に泊まることもありましたが、そうすると気付くこともあるんです」
食べ物一つとっても、主食やデザートにその土地ならではの考え方がある。身をもって体験することで“イラン流”の理解に繋げた。