「世界2位の日本人」が求めた100m10秒台の走力 辿り着いたボルトとのトレーニング
“世界一”に届いた情熱「本気ならすぐに来い」
ただし「無理だ」との声が洪水となって押し寄せても、和田には疑問が渦巻いていた。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
人気競技で身体能力に恵まれた選手が集まるはずの野球やサッカー界に、100メートルを10秒台で走る選手は滅多にいない。メディアは駿足の選手を見つけると、簡単に10秒台とか50メートル5秒台などと囃し立てるが、本当に競技規則内条件下の正式計時でそんな記録を残せる選手は、おそらく皆無に近い。
ところが陸上界では、中学生でも10秒台で走ってしまう。
「それは陸上部の選手たちが、速く走るためのトレーニングをして、その技術を身につけているからではないのか」
国内でことごとく指導を断られた和田は、最後の手段として究極のアイデアを浮かべていた。
「それなら世界一の選手から学びたい」
早速SNSを駆使して、100メートルと200メートルの世界記録保持者であるウサイン・ボルトの連絡先を知る人を探した。すると本当にボルトが所属するジャマイカの「レーサーズ・トラッククラブ」の連絡先を知る人が現れ、和田は「世界一を目指し、どうしても速く走れるようになりたい」と情熱を込めてメールを送った。
「本気ならすぐに来い」
想いは通じた。
和田はクラウドファンディングで350万円を集めると、ジャマイカのキングストンに飛んだ。もしボルトの速い理由が生まれ持った身体能力だけなら、すぐに帰って来ようと思った。
ビザが適用される3カ月間、和田は現地で下半身がテーピングだらけになるほど集中してトレーニングを積んだ。実はこの間トレーニングを一度も休まなかったのは、和田とボルトだけだった。
帰国して計測した和田の100メートルのタイムは10秒8、出発前より1秒も速くなっていた――。
(第2回へ続く)
[プロフィール]
和田賢一(わだ・けんいち)
1987年12月8日生まれ。日本のビーチフラッグス第一人者でビーチフラッグス全日本選手権3連覇、世界最高峰の全豪準優勝。走力を磨くために単身ジャマイカに乗り込み、3カ月間ウサイン・ボルトとともにトレーニングを積み、100メートルのベストを一気に1秒更新。誰でも速く走れる「走り革命理論」を確立し、トップアスリートをはじめ日本中へと広め、走ることの成功体験を通じ、子供が夢に向かって一歩を踏み出す勇気を届ける講演を行っている。
(加部 究 / Kiwamu Kabe)