「世界2位の日本人」が求めた100m10秒台の走力 辿り着いたボルトとのトレーニング
大学時代にビーチフラッグスに出会った和田賢一は、競技歴3年足らずで日本チャンピオンになった。
【ビーチフラッグス・和田賢一が追求する“走りの技術論”|第1回】世界一への速さを求めて浮かんだ究極のアイデア
大学時代にビーチフラッグスに出会った和田賢一は、競技歴3年足らずで日本チャンピオンになった。
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ビーチフラッグスとは、ライフセーバーが人命を救うために走力、技術を磨くことから発生した競技で、選手たちは砂浜で約20メートル先に立てられたフラッグとは逆方向でうつ伏せになり、スタートを告げる笛の音を聞き参加者より1本少ないフラッグを奪い合う。フラッグをつかめなかった選手が去り、必然的に最後は2人が1本を競い優勝者が決まるのだ。
日本一になった瞬間に、和田の目標は世界一に変わった。当時有名アーティストのトレーナーを務め多忙だったが、出勤前後の早朝6時半と深夜の11時半から30分間で50回ずつ、近所の公園の砂場でスタート練習に励んだ。異様な光景を見かけた警官から何度か職務質問を受けたほどで、ざっと計算しても10万回以上は繰り返したことになる。
さらにライフセービングを国技とするオーストラリアのゴールドコーストへ飛び、伝説の世界王者サイモン・ハリスが所属するクラブに5カ月間所属してトレーニングを積んだ。日本ではライフセービングが国技と言っても想像し難いが、例えば2度の五輪で5つの金を含む9個のメダルを獲得したイアン・ソープが、最初に目指した競技である。それほど身体能力自慢のアスリートたちが集結していく。テニスでグランドスラムが五輪以上の価値を持つように、ビーチフラッグスも全豪オープンが世界最高峰の水準を誇り、世界選手権をはるかに凌駕している。
和田は、その全豪オープンで準優勝を果たした。公園で重ねたトレーニングの成果で、5メートルのスタートダッシュは際立っていた。だが世界で2番目まで上り詰めても、和田に達成感はなかった。
「ダッシュでリードしても、走りが負けている……」
そう実感した和田は、片っ端から日本全国の陸上クラブや指導者に連絡を取る。当時和田の100メートルのベストはスタンディングスタートでの手動計時で11秒8。和田はなんとか10秒台で走りたいと訴えた。しかし返ってきたのは、判で押したように同じような答えだった。
「足が速いかどうかは才能だ」
「成長期を過ぎた26歳で足なんか速くならないよ」