競技は「人生の通過点」 自転車女子選手が“恋愛も隠さない”欧州で見た日本との違い
引退後も常に新たな道を切り開いてきた沖が見つめる未来
09年5月。現役を引退し、イタリアに渡った沖は、現役生活の最後に所属していたセレ・イタリアで、研修生として働き始める。
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「研修はスタッフの仕事を知ることから始まりました。日々、選手の体調を管理し、補給食を作り、自転車を洗い、運ぶ。レース時はホテルに荷物を運ぶのも、レース服を準備するのも私の仕事でした。コーチの計らいで、ツアー先で一緒になった他国のチームでも研修。選手時代は挨拶を交わす程度だった選手やチームとも交流が深まり、一気に人脈が広がりました」
コーチングを学びながら、スカウトも担当した。だがある日、師事するコーチから、「選手のアドバイザーやマネジメントの方が、あなたらしい仕事だと思う」とアドバイスを受ける。
「当時、海外チームに所属する日本の女子選手は私を含めて2人しかいませんでした。つまり、日本の指導者は海外でのレースマネジメントや、月経の対応を含む女子選手のコンディショニングの経験も非常に少なかった。世界中をツアーで回るロードでは、例えば部品が破損すれば、他のチームを回り、譲ってもらう交渉も必要になる。私には人脈がある。確かにこの仕事ならば、私は日本の役に立てると思いました」
帰国後、競輪の統括団体であるJKAとアドバイザリー契約を結ぶ。トラックの代表チームにつき、これまで日本のチームにはなかった、新しいポジションを自ら構築した。
「ホテルの宿泊や食事の手配も仕事の一つ。世界中、どこでレースを開催されても、現地での人脈をたどり、イギリスやドイツといった強豪チームと、同じホテルになるように交渉した。強いチームの選手は、普段どう過ごしているのか、何を食べているのか。それを間近で見ることも、日本の強化につながる」
その後、13年には日本競輪学校初の女性教官に就任。12年にスタートした、ガールズケイリンの選手育成に携わる。4年後の17年4月には「経験を伝える上で欠けているアカデミックな視点を学びたい」と順天堂大学大学院へ進学。今春、大学院を修了した。
現在は再び、自転車の現場に復帰。常に新たな道を切り開いてきた彼女は今後、自分の経験と知識を、選手の育成や強化、そして支援に生かしていきたいと話す。
「私は、人生の目的や広い視野、そして多くの友人もここで得られた。真剣勝負のなかでも人と協力し、分かち合い、認め合う。自転車を通して、切磋琢磨するということ、そしてスポーツの素晴らしさ、楽しさを知った。自転車を始めて本当に良かったと思います。
最初は好きで始めたスポーツも、つらいばかりでは続きません。選手が気持ち良くプレーできる環境を整えながら、自転車競技の素晴らしさを伝え、発展に寄与できたらうれしいですね」
■沖 美穂(おき・みほ)
1974年3月8日、北海道出身。小学2年からスケートを始め、22歳でスピードスケートから自転車競技に転向。00年、シドニー五輪で個人ロードレースに出場。その後、同種目でアテネ、北京の3大会に出場する。02年、日本人女子選手として初めて、欧州プロチームと契約。08年に現役を引退。イタリアで2年、指導者として学んだ後、帰国。競輪の統括団体であるJKAアドバイザリー契約を結び、13年~17年、日本競輪学校初の女性教官を務める。2019年3月順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科博士前期課程修了。現在はJKA自転車競技振興室で後進の育成や自転車の普及に務める。JOC女性スポーツ専門部会員、JCF女子育成部会員。順天堂大学健康科学部助手(非常勤)現役時代の国内での主な成績は全日本自転車競技選手権大会11連覇、ジャパンカップサイクルロードレースでは10度優勝。2006年UCIワールドカップ第1戦準優勝(2019年4月現在アジア人過去最高)。
(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)