[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「駅伝も変わらなければ歴史に埋もれていく」 日本独自ゆえの警鐘、廃止トレンドの「大学VS実業団」は持続可能か

大学勢トップの3位に入り、大健闘を見せた国学院大【写真:柳瀬心祐】
大学勢トップの3位に入り、大健闘を見せた国学院大【写真:柳瀬心祐】

日本スポーツの発展に寄与してきた「実業団対学生」の争いは時代遅れに

 学生スポーツを中心に発展してきた日本のスポーツ界だけに、かつては企業よりも大学の方が強かった。それが変わり始めたのが、高度成長期。ちょうど大阪万博前後で、経済成長で力をつけた企業が社員の士気高揚のためにスポーツに取り組みだしたころだ。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 1965年にサッカーが初めて「日本リーグ」を発足。その後、他の球技も次々と全国リーグをスタートさせた。トップチーム同士の実戦が増えたことで強化は進み、関東や関西の「学生リーグ」が中心だったスポーツ界は「日本リーグ」の時代に変わっていく。

 当時は多くのスポーツで「実業団対大学」の試合が行われていた。実業団と大学の上位チームが「日本一」をかけて争う形式も珍しくなかった。1960、70年代は両者の争いが激しかった。

 サッカーの天皇杯は66年に釜本邦茂擁する早大が大学勢として最後の優勝を果たした後、日本リーグの時代に突入する。バレーボールの全日本総合選手権は69年の中大、バスケットボールの全日本選手権は75年の明大を最後に大学勢は勝てなくなった。

 とはいえ、当時はまだ差は大きくなく、大学が日本リーグチームに勝つことも珍しくはなかった。「プロ」は野球やゴルフ、ボクシングなど「興行」で、他のスポーツは「プロ」を否定していた。実業団選手は定時までの社業後の練習が普通。「スポーツだけやっている学生とは違う」と、今とは正反対の言い訳が通用していた。

 実業団対学生の争いの中で、各競技は成長した。80年代にはサッカーをはじめとして「プロ選手」という概念が生まれ、90年代には多くの競技に広がった。社業優先だった実業団の選手の環境もスポーツ優先へとシフトし、学生との実力差は開いていった。

 進化のタイミングは競技によって差がある。ラグビーやアメリカンフットボールなどは長く「社会人対学生」の日本選手権が行われていたが、それも近年廃止。日本スポーツの発展に寄与してきた「実業団対学生」の争いは、時代遅れになったといっていい。

1 2 3 4

荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
CW-X
MLB
funroots
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集