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引退発表の李忠成が描く日本サッカーへの恩返し “1年限定”で全国行脚「プロの物差しを伝えたい」

這い上がったストライカー「どんな選手でも可能性はある」

 現役続行の意欲を、責任感や恩返しが凌駕し、年内で勝利を追い求める戦場から去ることにした。

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「満足度120%」の現役生活だったと言い切る。FC東京のアカデミーから高卒のタイミングでトップ昇格を果たし、日本代表でも活躍して、とりわけ浦和レッズ時代には数々のタイトルを手にした。一見典型的なエリートに映るが、実は芽が出るまでには何度も蹉跌を味わってきた。

「FC東京でのプロ1年目には、(事実上)1度サッカーを辞めてますからね。こんなにレベルが違うんだ、と痛感したし、作り笑いをしながらみんなのパシリみたいなことをやっていたんです。そんなヤツが日本代表になり、イングランドへも行って、(12月に誕生日を迎え)38歳までプレーができた。だからどんな選手でも可能性はある。みんな諦めないで欲しいですね」

 19歳の崖っぷちから、満足度120%への大逆転――。次回からは、李忠成の激動の現役生活を、自身が紡ぎ出す言葉で振り返っていく。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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李 忠成

サッカー元日本代表 
1985年12月19日生まれ、東京都出身。在日韓国人4世として生まれ、父の影響を受けて4歳でサッカーを始める。FC東京U-18から2004年にトップ昇格。翌年に柏へ完全移籍すると、3年目の07年2月に日本国籍を取得した。同年のJ1リーグで30試合10得点、U-22日本代表に選出され、翌08年に北京五輪に出場した。09年夏にサンフレッチェ広島へ完全移籍。10年のリーグ終盤戦で12試合11得点とゴールを量産すると、11年1月のアジアカップ日本代表に選出され、オーストラリアとの決勝で伝説のボレーシュートを決めて優勝に導いた。12年1月にサウサンプトンへ移籍。負傷の影響もあり13年限りで欧州挑戦に終止符を打つと、14年からは浦和レッズで5シーズンにわたってプレーし、17年のAFCチャンピオンズリーグなどのタイトル獲得に貢献した。横浜F・マリノス、京都サンガF.C.を経て22年からアルビレックス新潟シンガポールに在籍。今年9月14日に今季限りでの現役引退を発表した。
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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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