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このままでは「野球の審判員がいなくなる」 仙台六大学の審判部長、アマ球界の改善を訴える理由

今年から仙台六大学野球連盟付属審判部長に就任した坂本健太さん(37歳)。30代での就任は異例の若さだ。東北高校、東北工業大学と進み、大学卒業と同時に一度は完全に野球を離れた坂本が、審判の道を選んだのはなぜか。様々な心境の変化とともに歩む坂本の野球人生に迫る。(取材・文=川浪 康太郎)

今年から仙台六大学野球連盟付属審判部長に就任した坂本健太さん。大学卒業後に野球を一時離れたが審判の道を志した【写真:川浪康太郎】
今年から仙台六大学野球連盟付属審判部長に就任した坂本健太さん。大学卒業後に野球を一時離れたが審判の道を志した【写真:川浪康太郎】

「大学野球審判の実像」第3回、高校時代から抱いていた審判の面白さ

 今年から仙台六大学野球連盟付属審判部長に就任した坂本健太さん(37歳)。30代での就任は異例の若さだ。東北高校、東北工業大学と進み、大学卒業と同時に一度は完全に野球を離れた坂本が、審判の道を選んだのはなぜか。様々な心境の変化とともに歩む坂本の野球人生に迫る。(取材・文=川浪 康太郎)

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 仙台市出身の坂本は小学校低学年の頃に野球を始め、中学生になると軟式野球の宮城県選抜に選出されるなど順調な選手生活を送った。プロ野球選手になることを夢見て県内の強豪校・東北に投手として進学するも、入学早々にその夢は破れることとなる。

 高校の3年間で公式戦登板はゼロ。練習では常に打撃投手を務め、練習試合の際は交通整理などの雑用に回ることもあった。同級生のダルビッシュ有(現・パドレス)が計4度出場した甲子園は、すべてスタンドから見守った。

 雑用の一環として行っていたのが審判。練習試合ではたびたび、当時の若生正廣監督の指示を受けるなどして塁審に入っていた。ダルビッシュらが投球練習をするブルペンで球審の真似をして「ストライク!」などとコールすることもあったという。「自分の判定でチームメイトが盛り上がるし、球審の位置からは投手のボールのキレがよく見える。審判の仕事も面白いな」。高校生ながらにそんな感情を抱きつつ、すぐに審判を志すことはなく大学野球の道へ進む。

 東北工業大では4年間通して「しゃかりきに投げた」。当時、東北福祉大でのちにプロ野球・ロッテでプレーした根元俊一を含む2人にサイクル安打を献上。仙台六大学の長い歴史で通算4回しか達成されていないサイクル安打を2回献上したことが、「しゃかりきに投げた」主力投手であったことの証だ。一方、練習試合では球審を務めることもあった。あくまでも「遊び感覚」でしていたことだが、高校、大学いずれも審判と無縁な野球生活ではなかった。

 大学卒業後は競技を引退し、大阪で就職。数年経って転勤で仙台に戻った際、大学時代の恩師で当時も東北工業大を率いていた小幡早苗監督(現・総監督)と当時の審判部長である故・佐藤誠一さんから仙台六大学野球連盟の審判事情を聞いた上で、「手伝ってくれないか」と相談を受けた。

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