元2冠王ポンセ、引退後に16年間トラック運転手 日本球界での成功導いた“変化を恐れぬ”生き方
球界を離れてからも模索する変化「今なら数千ドルの価値が」
引退してからの人生も変幻自在だ。1990年、大洋での試合出場は激減。1軍15試合出場で打率.193という信じられない成績で、ファーム暮らしも味わった。退団して1991年はエクスポズの春季キャンプに参加したものの、2週間で引退を決意。指導者に転身した。「もう無理だとわかってね。妻に引退するよと最初に言ったんだ」。
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1999年にはブルワーズ傘下のA+級ストックトンで監督を務めるなど、マイナー球団の打撃コーチや監督を7年間歴任した後は、さらに大きな岐路に立った。
選んだのはバドワイザーのビールを運搬するトラックの運転手で、16年にわたって勤めた。40代半ばになってから自動車学校に通い、大型車の免許を取った。「次の仕事が、最後になるだろう」という覚悟があったからだ。「当時は会社の関係で、免許も15ドルで取れたんだけど、今なら数千ドルの価値があるだろうね」。現在も、フロリダ州で老人ホームのバスを運転しているのだという。
「コミュニティに貢献する仕事も楽しいですよ。あと、少年野球の指導もしています。歳をとって、身体が少しずつ厳しくはなっていますけどね」と笑うポンセ氏。環境に応じての変化を受け入れ、人生を楽しむ姿が印象的だ。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)