元2冠王ポンセ、引退後に16年間トラック運転手 日本球界での成功導いた“変化を恐れぬ”生き方
プロ野球の大洋(現DeNA)で5年間プレーし、1987年に打点王、88年には本塁打と打点の2冠を獲得したカルロス・ポンセ氏が9月に来日し、「THE ANSWER」のインタビューに応じた。当時大流行していたゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の主人公似の風貌で人気者となったポンセ氏が、日本で活躍できたのは“変化”を恐れなかったためだ。全3回でお届けする連載の第2回では、環境に応じて、自ら変わっていった歴史を振り返ってくれた。(取材・文=THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太、取材協力=一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会)
ポンセ氏連載第2回、来日初年度から大活躍のマリオ似スラッガー…今も感謝する恩人
プロ野球の大洋(現DeNA)で5年間プレーし、1987年に打点王、88年には本塁打と打点の2冠を獲得したカルロス・ポンセ氏が9月に来日し、「THE ANSWER」のインタビューに応じた。当時大流行していたゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の主人公似の風貌で人気者となったポンセ氏が、日本で活躍できたのは“変化”を恐れなかったためだ。全3回でお届けする連載の第2回では、環境に応じて、自ら変わっていった歴史を振り返ってくれた。(取材・文=THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太、取材協力=一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会)
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ポンセ氏は大洋入りした1986年にいきなり打率.322、27本塁打、105打点という素晴らしい成績を残した「日本になじんで、幸せに生活できるように努力はしました。時には打てなくて落ち込むこともあったけれど……」。そんな時に勇気づけてくれたのが、当時『スーパーカートリオ』の一員として知られた故・加藤博一氏だった。
「屋舗(=要)さんのスピードはすごかったし、(高木)豊さんは身体が大きくないのに素晴らしいバッティングをしていた。そして私をチームに溶け込めるようにしてくれたのは加藤さんです。落ち込んだ時に横にいて『前を向こう』とポジティブな言葉をかけてくれたんです」
その上で、自らも変わろうと努力をした。1986年にいきなり好成績を残せた理由は「分からない」というものの、さらに上を目指すことを忘れなかった。日本特有の、懐に食い込んでくる変化球「シュート」を打つために試行錯誤を重ねた。