トルシエから「いきなりビンタされて…」 北嶋秀朗が日本代表の練習で受けた衝撃
日本代表で刺激を受けて変えたプレースタイル
新たな発見で、道を示されたような気持になったという。
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「トルシエは言い方がきつかったから、やんなきゃいけないって雰囲気になるのも事実なんですけど、言っていた内容はロジカルでしたよ。例えば、前のFWが下りてきたら、必ずその背中に入る、とか。相手のセンターバックが食いついてきたら、その背後を狙え、とか。当時は感覚だけでやってきていたから、“センターバックが食いついたら見ないといけないのか、確かにそうすると上手くいく”って言語化してもらった気がしました。サッカーを教わった感じがして、楽しかったです」
北嶋は、トルシエジャパンで強い刺激を受けた。ストライカーとして進化を遂げるため、根本的なプレースタイルの変更をしたほどだった。リスクはあったが、前進を信じ、躊躇いはなかったという。高校時代からポジションを変え、プレースタイルを変え、成長してきた実感もあったからだ。
「結果的には失敗しているんですが……」
北嶋は苦笑交じりで説明する。
「ポストプレーのスタイルだけでやってきたけど、他の代表選手たちと比較して、裏に抜けるプレーももっと必要かなって考えたんです。タイミングとかを考えてトライしたんですけど、なかなか上手くいかなくて。それでポストに戻そうとしたら、それがまた上手くいかなくなって、どっちもできなくなっちゃったんです(苦笑)。
変えようとトライして、プレーを崩しちゃったわけですけど(次第にゴール数を減らし、清水エスパルスに移籍)、チャレンジした自分のことを評価しているんです。たしかに失敗だったけど、変えていくことを怖がるべきではなかったし、そのままじゃダメだったと思うから。悪くなっても、良くなっても、トライはし続けるべきなんですよ」
1人のストライカーにとって、成功と失敗はあざなえる縄のようなもので、自らが正解にするしかない。その点、失敗に見えたトライも次につながっている。
「僕はプロのキャリアの最後のほう、クロスに合わせるのが得意なパターンになったんですけど。高校までヘディング嫌いだったんですよ、髪は乱れるし(笑)。だけど、プロ3年目くらいに西野(朗)さんから『ニアに入るスピードはあるから、意識したほうがいいぞ』って言われて。当時はマジで嫌で、“ニアは潰れるだけでなかなか点取れないじゃん”って。でも、ひたすらニアに飛び込むようになったら、だんだんと形になってきたんです」
その結果、プロ15年目の2011年シーズン、北嶋はキャリアハイに近い成績を残している。J1で優勝し、クラブワールドカップにも出場し、カップ戦も含めて11得点と、プロ5年目以来の二桁ゴールだった。点と点を結び付けることで、ストライカーとして老成したのだ。