創部64年目でなぜ躍進? 大学選手権初出場、東洋大ラグビー部が貫く“凡事徹底”の精神
選手に求めた「ラグビー以外」のこと
ラグビーを始めた岐阜・関商工時代は3年連続で花園出場を果たすなど活躍したが、大学進学は考えていなかった。
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「8人兄弟の末っ子で、全員関商工に通いましたが、進学する意思はほぼゼロでしたね。かかるものもあるし。当時の関商工では18、19歳になったら社会に出てという先輩しか見ていないから、全く進学の発想すらないところで育ったんです」
そんな福永が進学を決めたのは、当時の東洋大・高田儔(ひとし)監督の熱心な誘いだった。
「わざわざ岐阜まで来てくれて、誘っていただいたんです。高校の先生も『ここまで言ってきてくれる人はいない』と言う。そこで、進路が変わりました」
実際には、身長190センチクラスの選手は当時多くはいなかったため、強豪大学からの誘いもあった。だが、福永が選んだのは、最も情熱を持って誘ってくれた関東2部のチームだった。高校の指導者や家族の影響もあったが、高校3年生の頃から福永が大切にしていたものが感じられる選択だった。
三洋電機では、低迷の時代から優勝までを経験。国内トップクラスのステージで戦ってきた福永だが、2018年の春に2部リーグが常連だった母校のピッチに立った時には、後輩たちの可能性は掴んでいた。就任した時に、部員にこう語りかけた。
「すぐに(1部に)上がれるでしょう。自信を持ってやりましょう」
初の選手権へ向けた練習スタートの日に、遠くを見つめて当時をこう回想した。
「一生懸命やってましたよ。だから最初に部員みんなに言ったんです。十分に能力はあるし、才能もある。後は取り組む姿勢だけ。真剣にやれば、必ず結果はついてくるからと。今もそうですけど、同じことをずっと話してきた」
選手に求めたのは、ラグビー以外のことだ。
「道具とかは、使った者が片付けようと。それと掃除と挨拶については、ずっと選手に話してきた。社会に出てから必要だから、とね。相手の目を見て話そうとか、最初は挨拶だし。体育会で育っている時点で、みんなアドバンテージを持っているから、そこさえちゃんと人並み以上にできれば、社会に出ても絶対に活躍できる。そういうアプローチをしてきたんです。ラグビーより前に社会で活躍しようと」
この話を聞いて思い出したのは、今年8月に長野・菅平で行われた夏合宿の光景だった。チーム取材ではなく、他の複数の同宿チームの取材と福永監督への挨拶を含めて宿舎を訪れると、誰にでもしっかりと挨拶をしていたのが東洋大フィフティーンだった。