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肌色の違いを感じた少女時代 大竹風美子に自信を与えた、ラグビーの“多様性”が持つ力

結果を残して女子ラグビーの「未来を切り拓く」

 発足当時は日本ラグビー協会とは別組織の任意団体扱いだった日本の女子ラグビー。2002年に日本協会への参入が認められ、17年になってようやく女子代表へのキャップが、15人制は1991年W杯から、7人制では99年の香港ウィメンズセブンズ以降の試合で与えられることが決まった。男優位で進んできた日本のラグビー界でも、ようやく女子ラグビーが認められ、選手の競技力向上が本格的に取り組まれる時代を迎えようとしている。

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 しかしその一方で、女子アスリートが競技に打ち込む環境、活躍する場に関して、まだまだ整備が必要なのは間違いない。当事者である大竹も、こう指摘する。

「練習環境を見ても、(所属する)東京山九フェニックスは清水建設さんのグラウンドを借りているのが現状です。練習設備はまだまだというのはありますね。リーグワンのような大企業が女子チームを持っていることもない。そういうこところは、これから変わっていってほしいですし、そのためにはたぶん結果を残して、知名度が上がってからだと思います。私たちができることは、まず結果を残すことしかない。結果が未来を拓くことになると思います」

 ワールドラグビー・セブンズシリーズでの世界転戦、そしてその先に待つパリ五輪への挑戦が始まる大竹だが、失意のなかで観た東京五輪では、W杯初戦で苦杯を喫したフィジーの躍進から勇気をもらったと明かしてくれた。

「私もプレーした4年前のW杯では、フィジーに勝ってチャレンジトロフィーの決勝に行けたんです。でもそのフィジーが、3年後にはオリンピック(銅メダル)もですが、今年はコモンウェルス大会(英連邦諸国による国際大会)で準優勝している。フィジーの強みが確立されて、あそこまで行っていると思うので、ジャパンも間違いなく道は拓けるはずです。時間はかかるかもしれないけど、必ず日本の女子もブレークスルー(突破)を起こせると思います」

 95年前、歴史的偉業を遂げてパリに降り立った男がいる。人類史上初の太平洋単独無着陸飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグだ。「翼よ、あれがパリの灯だ」という名言が伝説化されているが、大怪我とも、偏見とも戦い、飛び越えてきた大竹にも、2年後に新たな歴史を切り拓くパリの灯がようやく見えてきているはずだ。

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■大竹風美子(おおたけ・ふみこ)

 1999年2月2日生まれ、埼玉県出身。ナイジェリア人の父と、日本人の母の間に生まれ、高校までは陸上の七種競技選手として活躍し、インターハイで6位の成績を残す。高校3年の冬にラグビーに転向すると、恵まれた身体能力を生かして進学した日本体育大学でも頭角を現し、2017年に7人制女子日本代表に初選出された。東京五輪での活躍も期待されたが怪我により出場は叶わず。現在はプロ選手として東京山九フェニックスに所属。W杯には18年、22年と出場した。

(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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