亡き盟友・平尾誠二との約束 協会新会長として受け継ぐ“日本ラグビー改革”の遺志
就任会見で3つの目標を掲げ、リーグワンとのさらなる連携を訴えた日本ラグビー協会の土田雅人新会長。サントリーの敏腕ビジネスマンとして培ってきた経験にも期待する声は強いが、同社役員となってもラグビーに注ぎ続ける飽くなき情熱の源泉には、故平尾誠二さんとの出会い、亡くなるまで続いた友情がある。独占インタビュー中編は、盟友・平尾さんとの出会いから、選手、指導者、協会理事として戦い、ともに歩んできた足跡、そして故人の遺志を受け継ぐ思いを聞いた。(取材・文=吉田 宏)
日本ラグビー協会・土田雅人会長インタビュー中編、平尾誠二氏との出会いと友情
就任会見で3つの目標を掲げ、リーグワンとのさらなる連携を訴えた日本ラグビー協会の土田雅人新会長。サントリーの敏腕ビジネスマンとして培ってきた経験にも期待する声は強いが、同社役員となってもラグビーに注ぎ続ける飽くなき情熱の源泉には、故平尾誠二さんとの出会い、亡くなるまで続いた友情がある。独占インタビュー中編は、盟友・平尾さんとの出会いから、選手、指導者、協会理事として戦い、ともに歩んできた足跡、そして故人の遺志を受け継ぐ思いを聞いた。(取材・文=吉田 宏)
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高原の真夏の日差しの下で、2人の少年は出会った。
高校ラグビー部の夏合宿の聖地、長野県菅平。標高1200メートルの高原で毎夏行われる高校日本代表候補の強化合宿で、秋田工3年生の土田少年は、その後の人生に大きな影響を受ける平尾誠二さんとの友情を深めた。
「彼がキャプテン、僕がバイスキャプテン(副将)みたいな立場だった。高校時代の平尾はシャイだった。でも、僕にはよく話をしてくれて、進路の話もしていました。(自分は)そのまま明治に行くのは嫌だなと考えていた。同志社は強くなってきていたけれど、(秋田には)情報があまりなかった。そんな時に平尾が『一緒に行くか』という話をして、受験を決めたんです」
伝統的に秋田工のトップ選手は明治大に進むのがエリートコース。同志社大に進学する部員はいなかったが、平尾さんからの誘いが土田少年の進路を東京・八幡山から京都へと大きく変えることになった。
京都に天才司令塔がいるという伝説は、平尾さんが伏見工(現・京都工学院)入学直後から広まっていた。土田少年も出場した高2の冬の花園で、平尾さんの活躍もあり伏見工はベスト8まで勝ち上がり、「ヒラオ」という名前は伝説から一躍高校ラグビーのスターになっていた。そして2人が3年生の花園では準々決勝で両校が激突。伏見工が16-10で競り勝ち、そのまま全国制覇まで駆け上がった。天性のステップ、卓越した理論はもちろんだが、高校代表候補合宿などで直接触れ合った土田少年は、それ以外の惹きつけられる“何か”を感じていた。
「まだ18歳の時から、平尾は年上に可愛がられるんです。それはやはり、彼がいつも言葉を持っていたからだと思います。自分の考えを持っていた。だから大学生の時でも、経営者だったり、大学の先生、ラグビー関係者以外のメンバーとも広い交友関係があったと思います」
同志社大受験の時には、京都にある平尾さんの実家に2週間あまり泊まり、入学後は互いにFW、BKの中心選手として、大学選手権3連覇へとチームを引っ張り上げた。夏休みには、平尾さんが土田少年の秋田の実家に遊びに来るなど親交を深めた。