日本ラグビー協会新会長は敏腕営業マン ファン拡大へ、盟友率いるリーグと連携強化
「自分の意志で決めた」名門・秋田工ラグビー部への進学
昨季リーグワン最終節で起きたトラブルにも、ラグビー協会とリーグワンの“距離”を痛感させられた。5月7日、東京・秩父宮ラグビー場で予定されていたリコーブラックラムズ東京-NTTドコモレッドハリケーンズ大阪が、試合当日になって突然キャンセルされた。中止の理由は選手のコロナ感染だが、“ドタキャン”という事態に陥ったのは、感染検査のプロトコルの未整備と対処方法の不手際という、むしろリーグ側を中心とした連携不足が原因だった。このドタキャン騒動について、土田会長は協会、リーグという枠を超えた問題と捉えている。
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「最終的に(中止を)決定するのはリーグでいい。でも、その情報がラグビー協会に入っていたのか、リスク管理はしていたのか、という部分が重要です。お客さんから見たら、リーグワンだろうがどこだろうが、ラグビーというのは1つですから。でも、リーグワンの玉塚理事長も東海林専務理事も来たばかりです。だから、昨日みたいに毎週1回は朝8時からとか、できる限り僕、玉塚、東海林、岩渕らがトップで話し合えば、協会内でもみんながミーティングを始めてくれるんじゃないかな」
冒頭に書いた新会長と協会、リーグワン首脳陣との会議は、もちろん当面の課題を新体制の下で定期的に話し合い、共有、共通理解を高めるのと同時に、縦割り社会と感じた協会内にも、部署間や個人個人が従来以上に積極的な横のコミュニケーションを持ってほしいというメッセージも込められているのだ。
ビジネスマンとしての手腕を協会運営でも期待されている新会長だが、その原点はみちのくの“ラグビー王国”秋田県の秋田市にある。中学時代は野球部員だった土田少年だが、テレビ中継されていた全国高校ラグビー大会を観て、自分の将来を思い描いた。
「ラグビーは高校からですね。中学生の時、テレビで秋田工業が花園決勝まで行くのを観ていたんです。野球だと全国大会に行けても1回戦だなと。もし全国大会で1位を獲れるとしたら、能代工(現・能代科学技術)のバスケットボールかラグビーだと思いました。小学生の時はミニバスケで全国大会に出ていたが、バスケじゃ身長がない。なのでラグビーで秋田工に進もうと。親は大学進学のために工業高校は大反対だったんですけど、自分の意志で決めました。僕らの代は56人入部しましたが、最終学年まで残ったのは14人。素晴らしく理不尽な世界を経験しましたよ」
秋田工といえば、高校ラグビー界の名門チーム。花園優勝15回、出場69回はともに最多記録で、伝統校ならではの指導の厳しさも全国に知れ渡っていた。その名門校在学時には3年連続で花園ベスト8に進出。土田少年も最終学年では全国区でも注目される存在になっていた。そして、この最終学年の夏に、土田少年の運命を決める仲間との出会いがあった。
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(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)