ディーン元気の「諦める美学」 10年間の空白、休養期間も「心の炎を消さなかった」【世界陸上】
オレゴン世界陸上が23日(日本時間24日)、米オレゴン州ユージンのヘイワード・フィールドで第9日が行われた。男子やり投げ決勝では、30歳のディーン元気(ミズノ)が80メートル69で9位。2012年ロンドン五輪以来10年ぶりの世界大会だった。この間は心身の疲弊から休養期間を取り、あえて“諦めるシーズン”をつくった年も。紆余曲折を経験したベテランは、存分に戦える喜びを噛み締めた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
オレゴン世界陸上
オレゴン世界陸上が23日(日本時間24日)、米オレゴン州ユージンのヘイワード・フィールドで第9日が行われた。男子やり投げ決勝では、30歳のディーン元気(ミズノ)が80メートル69で9位。2012年ロンドン五輪以来10年ぶりの世界大会だった。この間は心身の疲弊から休養期間を取り、あえて“諦めるシーズン”をつくった年も。紆余曲折を経験したベテランは、存分に戦える喜びを噛み締めた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
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世界の猛者に打ちのめされたが、どこか楽しげだった。
「いや~、強すぎです、みんな」
ディーンは1投目に77メートル81を投げ、2投目はファウル。勝負の3投目に80メートルを69センチ超え、暫定8位に食い込んだ。しかし、後続に逆転を許して9位。上位8人による4投目に進めなかった。アンダーソン・ピーターズ(グレナダ)の90メートルを超えるビッグスロー3発を見上げる。金メダルは圧巻の投てきだった。
「いろんな気持ちがありますけど、しっかりとここに戻ってこられたのは事実として本当に嬉しい。10年前は79メートル95。今日は80メートルをしっかり投げられた。大目に見れば、ちょっとは成長したのかな」
ロンドン五輪から10年。74センチ伸ばした記録に苦労が詰まっている。
あの頃の勢いは、誰にも止められなかった。イケイケだった20歳。2012年の織田記念国際で日本歴代2位(当時)の84メートル28を投げ、周囲を驚かせた。直後の日本選手権で大会記録を更新する84メートル03で初優勝。村上幸史の13連覇を阻止した。夏のロンドン五輪に出場し、決勝(10位)まで一気に駆け上がった。
「毎年、日本選手権の後にコーチと悔しい反省会をする。気づいたら10年が経っていた」
将来を嘱望された早大3年生。ここから苦難の連続だった。腰、脇腹を相次ぐ怪我。治療やリハビリに多くの時間を割かれた。痛みが出ないフォームを試行錯誤。「怪我をしているうちに、やりを投げるために必要な要素を体が忘れていた」。爆発力のあるビッグスローの感覚はどこかに消えた。
16年の日本選手権。新井涼平が大会記録84メートル54で優勝した一方、自身は9メートルも劣る5位。リオ五輪は縁遠い場所だった。アジア大会の代表には入れるが、五輪、世界選手権には出られない。指導する田内健二コーチ(中京大学陸上部部長)は「悔しい形で日本選手団に入っていた」と振り返る。
翌17年、不振のディーンは大きな決断を下す。「怪我が治り切らない。無理してやってきたことが尾を引いた。自分が違うと思っていても、心・技・体の最高点が下がっていた」。思い切って長い休養期間をつくり、心を休める時間にした。
「良くも悪くも“諦めるシーズン”をつくってもらった。あれ以降は一気に回復して、より体がついてくる感覚が出てきました。『諦めずに頑張ることがいい』という美学もあると思いますけど、それが全てじゃないと思える瞬間でした。その中でも、心の炎を消さずにやってこられたので今がある。メンタルの根底には『絶対に投げられる』という自信があった。ずっと勝負できる自信があったから、ここまで戻って来られたと思います」