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トルシエから「100%信頼されていなかった」 宮本恒靖が日韓W杯時の“関係性”を吐露

「もっと何かできた」との悔いが04年アジアカップに繋がった

 日本は前半12分に失点し、試合の流れはトルコに傾いた。トルシエが率いるチームは前から激しくプレッシングをかけてボールを奪い、素早く攻めるスタイルだった。だが、トルコは1点を先制したことで無理をする必要がなくなり、カウンター狙いで日本を待ち構えていた。

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「トルコが引いて、自分たちがボールを持てることで、リアクションじゃなくなって、本来の強みを出せなかった。相手にのらりくらりかわされ、攻めあぐねている感がすごくあった。ペナルティーエリアの中に入っていくところも崩し切れなくて、これは点を取るのは難しいなというのは感じていました」

 トルシエは後半開始から、この大会のラッキーボーイ的な存在だった稲本潤一に代えて市川大祐を入れ、奇策としてスタメン起用したアレックスも鈴木に代えた。だがトルコは、欧州を勝ち抜いてW杯出場権を掴んだ国。守備に徹すれば、そう簡単にやられるわけがない。日本はグループリーグの流れを取り戻そうとしたが、ピッチにはラッキーボーイも前線のポスト役である柳沢もいなかった。

 後半30分を過ぎると、焦りが生じてきた。

「このままだと負けてしまうみたいな焦りとプレッシャーが出てきた。チャンスはあったけど、トルコの守備が堅くて、最後が崩せなかった」

 宮本が危惧した通り、その後も何も起こらなかった。失点してからの78分間は、「このまま終わっていいのか」という思いを抱えたなかで過ぎていった。日本は0-1でトルコに敗れ、ベスト16で日韓W杯の旅を終えた。雨の中、最後まで応援してくれたファンにピッチ内から挨拶して回ったが、心の中は空虚だった。

「不完全燃焼だったし、もったいない試合だったと思います。全力で戦って負けた感じじゃなかったし、もっと何かできたんじゃないかっていうのは、試合が終わった後により感じた。例えば、ラストはマツ(松田直樹)を上げてパワープレーをすれば良かった。その経験が(2004年の)中国でのアジアカップ準決勝(バーレーン戦/4-3)で、(中澤)佑二を前線に上げて同点ゴールを挙げることに繋がったけど……。02年はホスト国で対戦相手に恵まれたし、宿舎などの環境も良かった。ただ、上手くいき過ぎて、トルコ戦の先を見て戦ってしまった。W杯は、そんなに甘くないと思いましたね」

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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