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「バットマン」宮本恒靖の真実 「ボールが一瞬消える」違和感と空前の“ツネさま”人気

当時使用したフェイスガードは日本サッカーミュージアムに展示されている【写真:荒川祐史】
当時使用したフェイスガードは日本サッカーミュージアムに展示されている【写真:荒川祐史】

ベルギー戦の2失点目のシーンで味わった悔しさ

「結果的にオフサイドトラップが崩れた形になったけど、ボックス内だからオフサイドトラップをしないという考えはこのチームにはありませんでした。それに(相手)FWとか何人かをオフサイドにしておいて、2列目から走ってくる選手に対しては、それまで対応できていた。ただ、この時は自分が2列目の選手に対応しようと戻る時、相手選手にブロックされてできなかった。マツ(松田直樹)と(中田)浩二は手を上げてアピールしていたけど、いろんなことが重なって失点につながってしまった」

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 宮本は悔しそうに唇を噛みしめ、これ以上の失点だけは絶対に防がないといけないと気持ちを奮い立たせた。ゲームは振り出しに戻り、そのまま2-2で終わった。

「負けずに勝ち点1を獲れたのは大きい」と思ったが、DF陣、とりわけ宮本は途中交代での出場で失点し、責任を感じていた。

 だが、W杯で初めて勝ち点を挙げ、「バットマン」のインパクトも大きかった。英国などで報道され、黒いマスクがファンに配られた。当時の人気バラエティ番組『笑っていいとも!』で香取慎吾がフェイスガードを装着して登場するなど、社会現象になるのは第2戦のロシア戦後になるのだが、宮本自身がその熱狂を実感することになるのはW杯後、クラブに戻ってからだった。

 ガンバ大阪の練習場には800人ものファンが集まり、騒然とした雰囲気になった。「ツネさま人気」は、今で言うフィギュアスケートの羽生結弦のようなブームとなり、試合にはこれまで来なかった層のファンが訪れた。CM出演はもちろん、クラブからは写真集が発売され、1万5000部が即売というとんでもない人気が、02年W杯を発端に06年のドイツ大会まで続いていったのである。

■宮本恒靖 / Tsuneyasu Miyamoto

 1977年2月7日生まれ、大阪府出身。95年にガンバ大阪ユースからトップ昇格を果たし、1年目から出場機会を獲得。97年にはU-20日本代表主将としてワールドユースに出場する。シドニー五輪代表でもDF陣の中核を担うと、2000年にA代表デビュー。02年日韓W杯前は控えの立場だったが、ベルギー戦で森岡隆三が負傷したため緊急出場。鼻骨骨折した顔面を保護するフェイスガード姿が話題となり、「バットマン」と呼ばれて人気を博した。日韓W杯後に就任したジーコ監督からも信頼され、06年ドイツW杯にも出場。11年に現役引退後は、日本人の元プロサッカー選手で初めてFIFAマスターを取得した。古巣G大阪のトップチーム監督などを経て、現在は日本サッカー協会理事を務める。

(佐藤 俊 / Shun Sato)

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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