宮里藍の父に救われた不登校少年 引きこもり時代から46kg減、生まれ変わった18年物語
体重110キロ→64キロ、ラウンド1年でスコア70台に
朝5時30分に集合。2人の早朝ウォーキングが始まった。新たな日課で、健人の意識に変化が出ていた。
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「自分のために友子さんが一緒に歩いてくれる。何てありがたいんだ。もう、甘えてはいられない。やらなきゃ」
長年の不登校、引きこもりでついた「どうにかして休みたい」という思いは、消え去った。次第にウォーキングだけでは物足りなくなり、ジョギングも開始した。体重はさらに減り、半年が過ぎた頃には64キロに。ピーク時の110キロから比べると、46キロも減っていた。
そのタイミングで健人は、左手首の手術を受けた。リハビリを経て、右手だけのアプローチから練習を再開。ウェッジのフルショット、アイアン、ドライバーショットと段階を踏んで、ラウンドを開始した。初ラウンドは100を打ったが、腕はグングンと上がり、1年後には70台をマーク。そして、20歳でプロテストを初めて受験した。
現実は厳しかった。テストになると緊張で力を発揮できず、不合格を繰り返した。ツアー予選会(QT)の1次は突破したが、その上に行くことはできなかった。そして、26歳で7度目のテストに失敗すると、優氏は健人にこう告げた。
「健人、君がここに来て10年になった。よく頑張って、人と向き合えるようにもなった。プロテストに合格しなくても、君は既に人生の勝者であり、立派な社会人なんだよ。もう、それでいいじゃないか」
健人は優氏の言葉を受け、ツアープロになることを断念した。悔しかった。情けなかった。と同時に安堵もした。
「正直に言えば、肩の荷が下りました。『プロになりたい』と言って、ゴルフを始めたのは自分ですが、寝ても覚めてもゴルフのことを考え、息が詰まっていたので……」