本当は就職の為に進んだ大学 「辞めたい」と何度も思った村上茉愛が東京五輪で掴んだ夢
東京五輪の体操女子種目別ゆかで銅メダルを獲得した村上茉愛(日体クラブ)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、知られざる競技人生について語った。中学2年、ゆかで全日本選手権優勝を達成しながら、以降は体重コントロールに苦しんだこと、本当は就職を考えて大学進学を選んだこと、何度も「辞めたい」と思っていたこと。24歳で迎えた東京五輪で輝くまでのストーリーを明かす。(取材・文=長島 恭子)
種目別ゆかで銅メダルを獲得した25歳の知られざる競技人生
東京五輪の体操女子種目別ゆかで銅メダルを獲得した村上茉愛(日体クラブ)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、知られざる競技人生について語った。中学2年、ゆかで全日本選手権優勝を達成しながら、以降は体重コントロールに苦しんだこと、本当は就職を考えて大学進学を選んだこと、何度も「辞めたい」と思っていたこと。24歳で迎えた東京五輪で輝くまでのストーリーを明かす。(取材・文=長島 恭子)
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「これ以上の出来はできないっていうくらい、すごくいい試合ができた」
8月2日、東京五輪、女子種目別ゆか決勝。試合を終えた村上茉愛は、晴れやかな表情でインタビューに答えた。
「もちろん目指していた金メダルを獲れなかった悲しさはあります。だけど、この銅メダルにはいろんな意味が込められていて。1つはメダルを1個獲りたいという五輪を目指した頃からの自分の目標、2つ目は女子体操個人では日本初という歴史的な快挙。
プラス、これまで積み重ねてきた体操人生のなかで、一番の演技ができたということ。もちろん、メダルの色は大切です。でも私は、それよりも中身を大事にして体操を続けてきた。だから、すごく価値のある銅メダルです」
2歳から体操を始め、小6の時、ゆかで、シニアでもできる選手は少ないH難度「シリバス」を成功させた。中学生になると全国中学大会、さらにシニアの全日本選手権のゆかで日本一となる。
「中学で日本のトップの成績を残した頃から、『上を目指せるのかな?』と、世界を意識するようになりました。ゆかが得意だし、好きだし、世界で戦うのであればゆかを強くしていきたい、そして五輪でメダルを獲りたい、と思うようになりました」
明星高(東京)2年時には世界選手権日本代表に選出され、種目別ゆかで4位入賞。早くも目標としていた世界の舞台を踏み、2015年、日体大へと入学する。
ところが高校3年時に一転。それまでコントロールできていた体重が急激に増え、日体大生として初めて臨んだ全日本では21位と惨敗。リオ五輪のわずか1年前のことだった。
「一言でいうと甘えです。欲との戦いに疲れてしまった。私はもともと筋肉質で、なかなか体重が減らない体質。でも、体操選手ってすらっとしているイメージが強いので、小さい頃からずっと、体重、体重、と厳しく言われてきました。食欲と向き合うストレスが大きくて、大学に入る頃には面倒くさくなり、節制することを放棄してしまった」
口では「世界」と発していたものの、体操に取り組む真剣さに欠けていたともいう。