「お願いです、謝って下さい」 あの最終戦2日前、松田直樹を動かしたマネージャーのメール
「ごめんなさい。メールを送ってしまって。マツさん、どうします?」
翌日もクラブハウスに行ったら、いつもと同じようにトレーナー室でゴロゴロしていました。
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練習開始10分前。そろそろ、みんなグラウンドに出てしまう。トレーナー室に行って声をかけました。「昨日はごめんなさい。メールを送ってしまって。マツさん、どうします?」。すると、聞かれたんです。「俺、どうしたらいい?」と。
「一緒に行くので、謝ってください」と言いました。さすがに嫌がるかなと思ったら、意外と素直に動いてくれた。一緒に監督のところに行って、最後は2人だけで話をしてもらった。練習後にメンバーを確認したら、マツさんが入っていた。
その年に退団する選手も最後まで練習に打ち込んでいた。マツさんがメンバーに入ることで、予定していた1人を入れ替えることになる。もちろん、それは理解していました。
マネージャーの立場で、個人の意志を貫いたのはその時だけです。
12月4日。大宮アルディージャ戦は試合終了直前で出場。本当はその5分前くらいに呼ばれていたのに、集まったスタッフ一人一人とハグをしていて。「そんなことしていたら、試合終わっちゃうよ!」と思ったのですが(笑)、側にいる人をそれだけ大切にしてくれたのが、マツさんらしさでした。
そして、最後にあった「俺、マジ、サッカー好きなんすよ! マジでもっとサッカーがしたい!」という涙ながらのスピーチ。あのメールを送らなければ試合に出ていないだろうし、試合に出ていなければ、最後はあんな風に皆さんに挨拶もできないまま、お別れだっただろうと思います。
あのメールを送って良かったと今も思っていますし、そのことで今もまだマツさんとこうして繋がれているのかなと感じています。
シーズン終了後、マツさんと最後に会いました。
退団する選手がクラブハウスに荷物をまとめに来る。マツさんが練習着をポリ袋にまとめているところ、最後の挨拶をした時に「記念に練習着1枚ください」と言ったら「なんだよ、もっと早く言えよ!」なんて言いながらもくれた。初めての出会いから随分、距離が縮まったなと思います。
それが記憶している最後の会話。亡くなったのは、それから8か月後でした。
倒れてから2日後、テレビのニュース速報が流れた驚きを忘れられません。2012年からはフロント側に移り、事業系の仕事をしています。毎年8月4日が来るたび、どう向き合ったらいいのか、自問自答し、正解は出ないまま、追悼イベントを毎年やらせてもらっています。
一番は年月が経っても、松田直樹の功績を伝え続けていくこと。その障壁が年月であることも分かっています。クラブにも若い人、別業界から来る人も増えました。その中で、この10年という節目という機会を逃したくなくて、今年はクラブの松田直樹さんへの想い、今後のクラブの取り組みについて発表する準備をしています。
マツさん、僕も38歳になりました。マツさんが亡くなった年齢を超えるなんて、思っていなかったです。
松田直樹が生きた時代を一緒に過ごさせてもらった僕やクラブとしての責務があります。皆さんから、どれほど愛されていたかをファン・サポーターの皆さんの想いとずれないように伝えていかなければいけない。
マツさんはそういうの嫌がるかもしれないですけど、「これからもずっとやっていきます」と伝えたいです。