甲子園4度出場も野球が「楽しくなかった」 元巨人・佐藤洋監督の原点にある苦い記憶
プロで痛感した「勝負強い」選手と「勝負弱い」選手の差
1984年のドラフトで4位指名を受け、巨人に入団。通算97試合の出場でスタメン定着はならなかったものの、10年間在籍し、投手以外のすべてのポジションを守れるユーティリティプレーヤーとして重宝された。
4回の甲子園出場、元プロ野球選手。野球界においては紛れもなく、成功者の1人と言えるだろう。しかし、指導者としての佐藤の礎となっているのは、「失敗体験」だ。「子どもたちが自分と同じ失敗をしないように、こうしたら成功する、ではなく、こうしたら失敗する、ということを伝えている」と言葉に力を込める。
甲子園の思い出として真っ先に頭に浮かぶのは、初めて聖地の土を踏んだ高2春、センバツでのファーストプレー。ピンチの場面で、三塁を守っていた佐藤のもとに打球が飛んできた。三塁走者を本塁で刺そうと試みたものの、送球が逸れセーフに。記録は野選だったが、本人にとっては失策同様の痛恨のプレーだった。狙ったところに投げるため、仲間が捕りやすいように送球するため、日頃のキャッチボールを大切にしなければならない。野球の基本を、大舞台での失敗から学んだ。
プロでは器用さを発揮しユーティリティな活躍を見せた一方、「自分のスタイル」を見つけることはできなかった。巨人での10年間で接した監督は王貞治氏、長嶋茂雄氏ら1、2軍計7人。コーチも含めるとさらに増え、その分多種多様な教えを耳にしたこととなる。「1軍で活躍できる選手は元々自分のスタイルを持っていたけど、自分は(指導者の言うことを)素直に聞くだけで、今思うといろんな人の意見を聞きすぎてしまった」と自身を省みる。
また、プロの世界には結果を残せる「勝負強い」選手と、そうでない「勝負弱い」選手がいるという。例えば30分練習した際、「勝負強い」選手は「30分も練習した」と言う。30分の間に何かを得て、感覚を掴むからだ。一方、「勝負弱い」選手は「30分しか練習していない」と考え、追加で1時間汗を流す。それでも足りなければ、休日を返上したり、早朝や深夜にもバットを振ったりする。
「費やした時間に満足感を得て、それを自信にしようとしていた」
プロ野球で荒波に揉まれたからこそ学んだ、“失敗のメソッド”だ。
強豪校やプロでプレーするなかで知った、野球の楽しさや失敗からの学び。現役引退後は子どもたちにそれらを伝える一方、大人たちに向けては厳しすぎる、成功を求めすぎる野球の危うさを提唱してきた。しかし、佐藤の考えが野球界に認められるまでには、長い年月を要した。(文中敬称略)
(川浪 康太郎 / Kotaro Kawanami)