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箱根駅伝のスターから「走る」指導者へ 立教大・上野裕一郎監督、55年ぶり本戦への挑戦

勉強と部活を区別できない選手に見せる厳しさ

 4年生は、愚痴る選手に「裏でぶつぶつ言うなら監督にぶつけてこい」と伝え、運営や練習で気になった声が出れば、まとめて上野監督に伝えてくれた。その結果、方向性を修正したり、自らのやり方を貫いたり、あちこちに頭をぶつけながらもチームを運営することができた。

「4年生がまとめてくれたのは大きかったです。その上で、1、2年目は駅伝チームとしての流れを作ろうと思っていました。流れというのは練習、合宿、勧誘、大会など部の日常や1年間の流れを学生に意識付けさせるということです。でも、簡単にはいかなかったですね。1年目は寮がなかったので、チームとして当たり前にやりたいこと、例えば朝練習は全員でまとまってできないので習慣づけるのが難しく、個人差が出て、全体的に距離的な不足も出てしまいました。また、所属する学部によっては練習拠点の埼玉・新座キャンパスではなく、東京の池袋キャンパスに授業を受けに行く場合もあるので全体でまとまって練習するのが厳しく、互いに競争意識を高めるのも難しかったです」

 2年目に入り、寮ができて、朝練習から始まる練習の流れは固まった。だが、このシーズンはコロナ禍の影響で途中から練習がままならず、外出が制限され、寮の規則もできたばかりで異論が出るなど選手のストレスが溜まっていった。また、オンラインの授業中に体幹トレーニングをするなど勉強と部活を区別できない選手が出て、さすがに上野監督も厳しさを見せた。

「勉強と部活を中途半端にやるなということです。これは高校の時、両角先生(速/現・東海大監督)から教わりました。両角先生は中途半端な姿勢で陸上したり、生活態度がだらしない生徒には部活をやらせないというスタンスでした。私もよくどやされました。先生の部屋に謝りに行って、ノックして入るんですが『話がないから出て行って』と言われて、出て、またノックしてを30分ぐらい続けた後、『この2週間で私の目に見える努力をしなさい』と言われて、やっと練習に出られたという経験があります。そういう両角先生の教えが体に浸透しているので、陸上を中途半端というか適当にやられるとやっぱりイラッとしてしまうんです」

 佐久長聖高時代の恩師である両角監督は競技面ばかりではなく、挨拶や服装など生活面での指導も厳しかった。学生服のズボンを腰履きして歩いていると、「なんだ、それは!!」と大声で怒られた。生活の乱れが陸上に一番響いてくるという考えだからだ。

「その教えが今、私が指導する上で一番生きています」

 さすがに大学生になると服装の乱れが気になる選手はいないだろうが、陸上に対する姿勢は選手と話をしたり、練習への取り組みを見れば分かる。

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上野 裕一郎

立教大学 陸上競技部 男子駅伝監督 
1985年生まれ、長野県出身。佐久長聖高校1年時から駅伝で区間賞を獲得するなど活躍し、1万メートルで日本高校記録を出した。中央大学でもスピードを武器に1年時から箱根駅伝など主要大会で数々の好成績を残した。エスビー食品へ進むと、2009年には5000メートルで世界陸上ベルリン大会に出場。13年からはDeNAに移籍し競技を続けていたなか、18年12月に立教大学陸上競技部の男子駅伝監督に就任。現役選手としての活動も継続する「ランナー兼指導者」として、チーム強化に努めている。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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