大学駅伝の「生命線」は新入生スカウト 名門に対抗、帝京大が狙う有望な選手とは
自分の意志で進路を決めていない選手は「大学に入って苦しむ」
スカウティングは、激烈な競争になる。タイムを持ち、将来性のある高校生のところには箱根の伝統校や強豪校の監督やスカウティング担当が殺到する。ただ、選手が最終判断を下す理由は、それぞれ異なる。憧れの先輩がいる、指導を受けたい監督がいる、この大学で走りたいという気持ちが固まっている場合は、翻意させるのは難しい。
だが、横一線に並んだ時、ネームバリューがない大学は、特別な理由がないまま、獲得競争から脱落していくケースが多い。
――高校生は進路を指導者や環境ではなく、大学の名前で決める選手も多いと聞きます。
「そういうのはスカウティングをやっているとしょっちゅうですよ。もちろん競争で単純に負けてしまうこともあります。高校の監督は帝京大に行かせたいけど、家族が違う大学を推して、そっちに流れるケースもあります。それも一つの選択肢ですが、縁がなかったと諦めるしかなく、来てくれた学生は目一杯面倒を見ます」
――スカウティングで面談した際、殺し文句はあるのでしょうか。
「来たら、鍛えてやるよって言います(笑)。あとは、もう最後は自分で決めなさいということですね。自分の決断は、間違いじゃない。でも、自分の意志ではなく、家族や先生に言われて(大学に)行くと私が見ている限り、大学に入って苦しんでいる選手が多いですね」
――帝京大には、近年、強豪高校から質の高い選手が入学してきていますね。
「ありがたいことですよね。連続して箱根に出るようになって、だいぶ認知されてきたのかなと思います。そのせいか、入学してくる選手の質が年々良くなっています。センスがある選手が入ってきているので、私も従来の練習メニューではなく、少しずつ変えていくことが必要かなと。前はやらせないと走れない選手が多かったですけど、今はある程度突っつけば一定の高いレベルまで上がる選手が多くなりました」
スカウティングで終わりではなく、指導して選手の力を伸ばす勝負でも負けない。大砲と称される飛び抜けた選手はいないが、その分全員が着実に走る。そうして、いつの間にか上位に顔を出している。派手さはないが「地道に粘り強く」が帝京大の良さであり、箱根を生き残るコツなのかもしれない。
■中野孝行(帝京大学駅伝競走部監督)
1963年生まれ、北海道出身。白糠高校卒業後、国士舘大学へ進学し箱根駅伝に4回出場。卒業後は実業団の雪印乳業に進み、選手として活躍した。引退後は三田工業女子陸上競技部コーチ、特別支援学校の教員、NEC陸上競技部コーチを経て、2005年から帝京大学駅伝競走部監督に就任。2008年から15年連続でチームを箱根駅伝に導いている。
(佐藤 俊 / Shun Sato)