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箱根駅伝、強豪校への挑戦 帝京大が「監督主導」から「自立」へ方針転換した理由

指導の根底にある高校時代の経験

――そもそも、なぜ帝京大の監督を引き受けたのですか?

「私がここに来たのは、駅伝競走部を強くしてほしい。箱根駅伝にチームを戻してほしいという要請があったからです。17年前ですが、予選会に負けて、その10日後に監督になりました。最初は1から10まで、それこそ箸の上げ下げまで口を出していました」

――そこまでがっちり指導したのは、どういう理由からだったのですか?

「大学に来る前に実業団で女子を指導していたんですけど、その時、レールを敷いてあげれば、ある程度、成果が出ることが分かったんです。実際、(帝京大でも)厳しく指導し、レールを敷くことでチームは成長し、箱根駅伝に出られるようになった。でも、あと一歩何かが足りないと感じていて、それはなんだろうと考えた時、箱根に出ることに満足してしまっていたということに気が付きました。箱根に出て、さらに上を目指すということに目を向ける余裕がなかったんです」

――その上を目指すためには?

「自立ですよね。自分で考えて、自分でチャレンジして、トライ&エラーを繰り返していかないとある程度から先にはいけない。ただ、何もないところで自立を叫んでも意味がないので、今はそのベース作りをしている感じです」

 中野監督が「自立の重要性」を語るのは、高校時代の経験による。

 白糠高校1年の時、陸上部には指導者がいた。だが、2年に上がる時に指導者が高校を去り、その後は指導者が不在になった。卒業後、その指導者に会った。「1年の時、先生は何も教えてくれなかった」と言うと、「違うよ。人に頼るんじゃなく、自分でやらないと成長できないことを感じ取ってほしかったんだよ」と言われた。

――高校1年生で、感じ取るのはなかなか難しいかもしれないですね。

「でも、年齢に関係なく、自分で考えて、やっていかないと成長しないですよね。どんな選手も本当はもっと力があるし、可能性があるんですよ。昨年、コロナ禍で不便になって何もできないと言うけど、本当に何もできないのかって。考えれば、やれることは他にもあるんじゃないかと思うんです。今は便利になったことで、考えることをしなくなり、逆に不便になっている」

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佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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