突然、躍った「美女ボクサー」の見出しに戸惑い 高校生でプロになった女子ボクサー稼業の裏側――ボクシング・鈴木なな子
チケット手売り、スポンサー集め…プロボクサーの“仕事”に戸惑い
いざ、プロボクサーになって戸惑ったことも少なくない。
試合のたび「女子高生ボクサー」という肩書きから「美女ボクサー」という容姿にまつわるものまで、「鈴木なな子」の前にいつも枕詞がついた。
「インタビューを受けている時はそんなワードが出てないのに世に出ている記事を見たら、そう書いてあって『おう、そうなるのか』ってビックリ。勝手に『美人』なんて書かれるから『美人じゃなくない?』という意見も出てくる。“可愛い・可愛くない”は人によって基準がある。正直、最初は嫌でしたね」
チケットは選手自ら手売り。ファイトマネーの2倍の金額分を売るのがノルマだった。チケットは4000~6000円程度で、高校生の友人が観戦するには安くない。「年代的にデビュー戦が一番大変でした。高いチケットを少し、または安いチケットを多く売る形でもいいんですが、ぎりぎりノルマ達成しました」と笑う。
スポンサー集めも欠かせない。男子の世界戦クラスのボクサーでない限り、ファイトマネーだけで食っていけないのがボクシングの実情。多くの選手は働きながら活動資金を捻出する。トレーニングなどにかかる経費は安くない。だからこそ、ボクサーパンツに企業名を掲出し、支援をしてもらう必要がある。
「やり方は人それぞれ。人脈がある人は紹介してもらったり、SNSで宣伝して集めたり。お酒の場に顔を出す人もいるけど、私はお酒を飲まないし、愛嬌を振りまけるタイプでもないので(笑)。練習で疲れるのは小さい時から経験しているので、スポンサー探しやチケットの手売りの方が精神的には一番疲れました」
「生きていく上で教養は身につけておいた方がいい」と進学した大学時代は学業と競技を両立も苦労した。
練習時間を捻出するため、5限目の授業は捨ててカリキュラムをやりくり。恵比寿にあるキックボクシングジムのトレーナーとしてアルバイトも並行した。「本当に大変でした。あと1つ単位を落としたら留年というところで、ギリギリで卒業できました」と苦笑いする。
大学2年までは香港遠征を経験するなど、通算5戦で3勝2敗。大きかったのは3年生になる2020年に現在の三迫ボクシングジムに移籍したこと。
キャンパスがある新座からの移動の負担を減らすためだったが、当時は女子選手が1人もおらず、男子選手とスパーリングをかわし、出稽古もこなしながら腕を磨く日々。アマチュアで全日本優勝の経験を持ち、のちにWBO世界女子スーパーフライ級王者となる3歳先輩・晝田瑞希も入門し、強い刺激となった。
「練習環境が変わってすごく伸びました。練習環境が変わると、練習のアプローチも変わる。それがすごく自分に合っていて、技術面も精神面も考え方も向上できたし、晝田さんが入ったことも影響を受けました。こんなに強い人でも基礎をこんなにやるんだと間近で見ることで、自分自身も成長できました」
移籍後2連勝。そして、大学4年生の冬、初めて大舞台への挑戦権を掴んだ。日本ミニマム級王座決定戦だ。