月1300km走っても「生理は来た」 金メダルと健康、野口みずきが2つを両立できた理由
アテネ五輪前は体脂肪率7%も「生理が止まることはなかった」
自身は16年4月に現役引退を表明し、19年1月から岩谷産業陸上競技部でアドバイザーに就任。故障しがちな選手、体重が少し重めな選手を見かける。「そういう子の食べ方を見ていると、ご飯粒を残している。間違った食べ方をしている子も中にはいますね」。現役時代を振り返っても、偏食だった選手はうまくいかなかった印象があるという。
今でも恵まれていたと感謝するのが、各年代で出会った指導者たちは「しっかり食べないといけない」という教えだったこと。練習をこなした上で体重が増えるなら、歩く距離を増やすなど練習以外の活動量を高める。「適度に肉がついて、適度に絞れていたらそれでいいというのが私の考えです」。体重計の数字にとらわれない大切さを説く。
「寮の食事は少しボリュームがありますが、毎日動くアスリートが全て食べたからといって体重が増えるわけないんです。当時の私だけではないと思いますが、『炭水化物を食べたら太る』という意識を持っている人が多くて、ご飯をやたらと少なくする人がいました。高校生でもトップになると結構な練習量。量だけじゃなく、練習の質が高いとそれだけエネルギーを使うので、しっかり食べた方が良いと思います」
女子特有となる思春期の体の変化においても、野口さんは「大きく苦しんだことはないですね」と振り返る。競技力と健康の両方を手にしたまま、26歳で迎えたアテネ五輪で金メダルを獲得。「しっかり食事を取っていたから、健康的にいられたのだと思います」と強調する。
「生理もずっと来ていました。実業団1年目の最初の1か月は、ホームシックで精神的なものが理由で1度だけ来なかった時はありましたが、それ以外で止まることは一切なかったです。これは結構驚かれます。マラソンはとてつもなく練習量が多い。アテネ五輪前は体脂肪率7%で、過酷なことをやっていてもしっかり来ていました」
生理不順は、必ずしも走った距離の長さだけが影響するわけではない。でも、野口さんは五輪前に1300キロ以上を走った月も問題なかった。故障もしたが「アスリートなので」と付き物と呼べる程度。定期的に測定していた骨密度の数値も悪くなかった。故障しても治るのが早い。「自分が強かった時は、故障の期間が短かった。どんどんいい練習ができたことで金メダルを獲れたし、記録も出せたのだと思います」。過度な管理よりも、自然に過ごしたことが健康体の背景にある。
「私は高校や中学の先生、指導者には本当に感謝していますね」
健康を犠牲にすれば、競技力が手に入るわけではない。ある程度の厳しさ、導きを受けながら思春期を過ごし、のちに世界の頂点を極めた金メダリスト。時代とともに考え方が移りゆく中、「脱・スポ根」と「甘やかす」を混同させた今のスポーツ指導の現場には思うことがあった。
(後編の「脱・スポ根≠甘やかす」は5月1日に掲載)
■野口みずき/THE ANSWERスペシャリスト
1978年7月3日生まれ、三重・伊勢市出身。中学から陸上を始め、三重・宇治山田商高卒業後にワコールに入社。2年目の98年10月から無所属になるも、99年2月以降はグローバリー、シスメックスに在籍。2001年世界選手権で1万メートル13位。初マラソンとなった02年名古屋国際女子マラソンで優勝。03年世界選手権で銀メダル、04年アテネ五輪で金メダルを獲得。05年ベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の日本記録で優勝。08年北京五輪は直前に左太ももを痛めて出場辞退。16年4月に現役引退を表明し、同7月に一般男性との結婚を発表。19年1月から岩谷産業陸上競技部アドバイザーを務める。
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(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)