「日本人、お金ないんだね」と笑われ 億も稼げるスポーツ界で…生活が成り立たない日本代表の実情――フィンスイミング・松田志保「女性アスリートとスポンサー」
フィンスイミングとの出会いとリアルな実情「生活は今もずっと成り立ってない(笑)」
「水中最速競技」といわれるフィンスイミング。約3キロのフィンと呼ばれる足ひれをつけて行う水泳競技のひとつ。
モノフィン(両足を揃えて装着する1枚のフィン)、ビーフィン(それぞれの足に装着する2枚のフィン)の2種類があり、けのびの姿勢で全身を波のようにうねらせるウェーブという泳法で泳ぐ。種目はサーフィス(水面泳)、アプニア(息止泳)、イマージョン(水中泳)、ビーフィン、ロングディスタンスがある。何より圧巻なのは、そのスピード。最も速いアプニアの世界記録は50メートル13秒85、競泳自由形の世界記録は20秒91というから、いかに速いか分かる。
松田もそのスピードに魅了された一人。小学3年生で水泳を始め、高校時代はインターハイやジュニアオリンピックに出場した。
大体大に進学した2年生の冬、同じプールに練習に来ていた男子フィンスイミングの第一人者・谷川哲朗に出会った。「大学水泳をちゃんとやり切りなさい」と言われ、競泳を引退した4年生の秋に初めて挑戦。両足を揃えて履くモノフィンを履いたら、全くスピードが出なかった。
「ビーフィンは競泳選手も(動作が似た)クロールをやるので、できてしまう。でも、競泳は練習でも25メートルのバタフライは13秒で泳ぐのに、モノフィンを履いたら15秒かかった。あまりの遅さが、信じられなくて。フィンは得意だと思っていたのに、できないのが嫌でやりたくなったんです」
卒業後は地元・関西でスイミングスクールに就職。インストラクターとして働きながら競技を始めた。2年目に日本選手権で50メートルビーフィンで日本新記録を樹立し、世界選手権に出場するなど、ステップアップ。25歳を迎えると一念発起し、より成長できる環境を求め、上京した。
収入は一時ゼロになった。水泳指導のアルバイトから始め、今の生活スタイルにつながっていった。
「生活は今もずっと成り立ってないです(笑)。ただでさえギリギリなのに、遠征費で全部持っていかれるから」。国内の競技人口は2000人も満たないといい、前述のように選手としての収入はゼロ。協会もサポートしたくてもできないのが実情としてある。
ただ、本人は常に明るく、ポジティブ。
「私、友達がいないので、遊ばないし(笑)。水泳指導が仕事なので、おしゃれも化粧もしない。毎日すっぴん、ジャージ、スウェット、夏はTシャツ、短パン、スニーカー、リュックで職場までチャリ爆走みたいな感じなので、頑張ることがあまりない。化粧しないと生きていけない女の子も多いですが、私、全然平気なので(笑)」
物価高の昨今。都内にはランチで1000~1500円かかる店もざらにある。「友達と食べるとならない限り、外食に興味もないです」とあっけらかん。
しかし、競技環境が厳しいことには変わりない。特に遠征費はコロナ禍から上がり、ロシアのウクライナ侵攻が始まると、さらに高騰した。年間でいくらの持ち出しがあるかは「考えたくないです」と笑い、目を背ける。ちなみに、今年の世界選手権の開催地はセルビア。
「ヨーロッパだから、いくらかかるのか……ヤバイです。いつもアジア選手権は20~30万円で行けていたのに、去年のタイ・プーケットは40万円を超えた。代表のユニホームも水着も買ったし、50万円は使っている。その前の世界選手権はコロンビアで65万円かかって、クラウドファンディングを頼りました」