女子バレー選手から日本バスケ会長に 我流の人生で三屋裕子も聞いた「女のくせに」の声
スポーツ界の理事としてのキャリアは川淵三郎さんがきっかけ
井本「スポーツ界での理事としてのキャリアは、1998年、Jリーグの理事就任で始まりました。このとき、川淵三郎さん(日本トップリーグ連携機構会長)から声を掛けられたと伺っています」
三屋「そうです。『三屋さんはサッカーを知ってる? Jリーグで何かやってみない?』と声を掛けて頂き、『まったくわかりませんが、勉強をさせてください』と引き受けました。それがご縁で、川淵さんが日本バスケットボール協会(JBA)の会長を引き受ける際(2015年)も、副会長をやらないかと声を掛けて頂きました。そうやって、いろんな場を作ってくださいましたし、そのたびに、必死についていきました。その後、私がJBAの会長職を引き受けることとなり、ついに置いて行かれましたが(笑)」
井本「川淵さんは三屋さんのどこを買われたと思われますか?」
三屋「最初は、インタビューでの発言だったようです。ちょうど大学院に通っている頃、実業団のバレーボールチームが、次々と廃部になりました。私が所属していた日立をはじめ、東洋紡、ユニチカ、カネボウ、富士フイルム、日本鋼管と、一流といわれたクラブがあっという間になくなった。その時、スポーツは今後、どうすればいいのだろう? と考え、『これからは地域でスポーツを育てていかなくてはならない。体育ではなく、スポーツ文化をちゃんと日本に根付かせましょう』とテレビや雑誌でずっと言っていたんです。
それを川淵さんが見て、面白いことを言っている人がいるな、と思われたようです。Jリーグでは12年間お世話になり、グローバルスポーツとしての考え方や日本のプロスポーツの立ち上がっていくところを見させてもらい、すごく勉強になりました」
井本「そういった理念や経営的なところを学ばれることが、トップの人間になるには一番大事だと思われますか?」
三屋「そうですね。あとはベタな言葉で言うと『もう一度、この人に会ってみたい』という人にならないとダメだと思います。私自身、そうであろうと常に心がけています」
井本「なるほど。そうであるために、日々自分自身の頑張りで何かを身につけていく、ということでしょうか?」
三屋「と言うよりも、その人の考えがあるか否かだと思います。人の心を動かす。私は、これがリーダーとして最も必要な力だと考えます。そして、最終的に人の心を動かすのは、人の考えや思いであり、勉強や知識とも異なります。どこかで聞いたような話ではなく、稚拙でも、その人の想いが伝わる言葉が響く。これまで私も、企業の社長、取締役として、縁もゆかりもまったくなかった社員の前で、何か話をしなければならない場面が何度もありました。
そういうときって、本を読んだりして足掻くじゃないですか。でも結局は、昨日テレビを観て泣いちゃったんだよね、という話のほうが響いたりする。社員が一生懸命、話に耳を傾けている姿を見ると、そういうことだよね、と思います。今、月に一度、JBA、B.LEAGUE、Wリーグの理事や職員ら約170名が集まるオールバスケミーティングというものを開いているんですね。そこでの挨拶でも、毎回、何を言おうかと胃が痛くなるぐらい考えます」