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「恋できない病気かと思った」 元バレー選手、滝沢ななえが家族に同性愛を告白した日

滝沢さんは母に伝えた日を振り返ってくれた【写真:宮坂浩見】
滝沢さんは母に伝えた日を振り返ってくれた【写真:宮坂浩見】

母に伝えた日の記憶「母なりにちゃんと、受け止めてくれたんだ、と」

 その後、滝沢さんは現役を引退。バレーボールコーチとして働いていた頃、当時のパートナーとの間で、同居の話が持ち上がった。一緒に住むのであれば、きちんとけじめをつけたい。滝沢さんは「母親に本当のことを言おう」と決めた。

「やはり母に伝えることは、なかなかできませんでした。でも、当時の彼女とは、この先も人生を共にする相手だと思っていたので、『友達と一緒に住む』と誤魔化すのではなく、本当のことを伝えられたほうがいい、と思ったんです」

 とはいえ、いきなり顔を見て話す勇気は出なかった。考えた末、スマートフォンを手に取り、メッセージを送った。

『実は私は同性愛者です。パートナーの子と一緒に住むことになりました』。

 返事は、すぐに返ってきた。

「『そうなんだね。一緒に住むのであれば、あなたに覚悟が必要だし、相手に対する責任もちゃんと持ちなさい』というメッセージでした。電話がかかってきて、あれこれ言われたらどうしようかと思っていたので、ホッとしました。

 言葉は少なかったけれど、不安に感じることは全くなくて。母なりにちゃんと、受け止めてくれたんだ、と感じました」

 兄弟姉妹には彼女を「一緒に住んでいる友達」と紹介し、家族との食事会に、彼女が同席することもあった。姉や妹たちにも、自分の彼女をパートナーとして扱ってほしい……。そんな気持ちを抱きながら。

「私にとって、彼女は家族。だから、『一緒に住んでいる子』と思われることは、複雑でした。私の家族にも家族と思って欲しいし、姉が『私の旦那さん』と自然と紹介するのと同じように、接していけたらいいな、って」

 当時は20代後半。結婚の早かった妹からはたびたび、「結婚はしないの?」「子供がいるっていいよ」と言われたが、彼女との関係性を偽ることで、会話がたどたどしくなっている自分を感じていた。ある日、『もう、家族には言ってもいいかな』と思い、母に意志を伝えた。

「でも、それはちょっと違ったようです。『そういう話は、色んな人に言うものではないよ』と言われました。母は私に、言葉では何も言わなかったけれど、その様子から思うところがあるんだな、と感じました。やっぱり母なりに、すごく葛藤していたのだと思います」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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