16年で1勝の野球イラン代表を強くした日本人 茨城球団GM、異色の歩みとアジアへの願い
16年で1勝のイランを西アジア準Vに導く「騙されたと思ってやり切ってくれ」
「日本の部活だってそうですが、元々好きで集まった野球人。アメリカ、中南米の挑戦では技術を求められて、クビを宣告される際も凄く単刀直入に伝えられるんです。それでも、人の挑戦を否定する雰囲気はありませんでした」
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日本ではドラフト戦線を重視するあまり、挑戦の選択肢を選手自身が狭めているケースも少なくない。「世界にはもっと挑戦の窓口が広くて、いろんな人種や考え方の人を受け入れている場所がある」。自ら行動と経験を繰り返した色川GMの言葉は重い。
野球が根付いていない国の事情も知る。代表監督を務めたイランは人口8000万人、パキスタンは2億2000万人を超えるが、両国とも野球の競技人口は「500人いればいい方」。ルールすら知らない国民が大多数だ。
競技が複雑であること、道具が入手できないこと、サッカーなどと違ってボール一つでできないこと、競技場の形が他のスポーツと兼用できないこと……普及しない理由は一つではない。色川GMによると、その国の文化、経済状況なども関わってくるという。
「例えば発展途上国では、日本みたいに1つの仕事をして生活費を稼ぐというより、3~4の仕事で生活している人も結構います。いつでもスタートできるし、いつでも辞められるんです。1つなくなっても、あと2つあるからいいや、くらいの気持ち。そういう人たちが野球という複雑なスポーツにぶつかった時、逃げる理由はいくらでもあるんです」
満足できる環境にない中、16年間で国際大会1勝しかしていなかったイランを西アジアカップ準優勝に導いた。当時まだ20代中盤。チームスポーツが苦手なお国柄と言われるイランで確かな実績を築き、ヘッドハンティングされる形でパキスタン代表監督になった。
大切にしたのは、相手のことを学んで知ること。そして自身の考えを積極的に伝えることだ。
イランは宗教上、男女が表立って交流しない社会。高校まで共学もほぼ存在せず、高卒の選手でも日本の中学生のような恋愛感情、ピュアな心を持っているという。そんな背景もあり、指導者の言葉の受け止め方も日本などとは違ってくる。
敵対意識を持たれるのも簡単だし、実際に悪い噂を流されたこともある。月収200ドル(現在で約2万7000円)の厳しい監督業。そんな中でも、私利私欲なしでブレずに主張を続けて信頼を勝ち得た。
「皆が次のステージに上がることで、野球がこの地域の中でちゃんと取り上げられるようになる。野球を知って、挑戦したい子たちが増えてくる未来が僕には見える。そのために、僕は皆に厳しいことを言うかもしれないし、分かり合えないこともあるかもしれないけれど、騙されたと思ってやり切ってくれ。結果を見て、判断すればいいじゃないか」
当時テヘラン一強だったイラン球界を一つにまとめるため、各地を駆け巡った。地道に地域の有力者にも思いを伝えた。真の“チームイラン”を作ったのは、間違いなく日本人の青年監督だった。