開頭手術を乗り越えて 不屈の男・土佐誠が、三菱重工相模原と目指す歴史的な1勝
選手生命が危ぶまれた「てんかん発作」、開頭手術から見事に果たしたカムバック
2つ目の試練は、2012年に突如として発症した「てんかん」だ。NECに入って4年目。日本代表ヘッドコーチを務めたエディー・ジョーンズ氏からトレーニングスコッドに選ばれた直後に、寮でシャワーを浴びている時に卒倒した。てんかんはけいれんや意識を失う発作が誘発される脳の慢性疾患。医師によれば、土佐の脳には部分的に原因不明の腫れがあり、そこが発作の原因になっていたという。しばらくは通院や投薬で凌いでいたが、発作を誘発する部分の切除する開頭手術に踏み切った。
「もちろん迷いました。脳にメスを入れるのは僕も怖かったし、コンタクトスポーツの選手が開頭手術をして復帰した前例はないということだったので。ただ、先生に手術を勧めていただいた時、NECで隣のロッカーだった元ウェールズ代表のガレス・デルブという選手が、同じ脳の手術をしてすごいカムバックを果たした選手がいるって教えてくれたんです。彼がスーパーラグビーのレベルズで一緒にプレーした、元オーストラリア代表のジュリアン・ハクスリーという選手で、僕を繋いでくれたんですよ。ハクスリーの話を聞いたり映像を見たら、すごく勇気づけられましたね。自分も挑戦してみようと、背中を押された気持ちになりました」
試合に復帰するまで、約1年半を要した。この間、ただ手術した傷が癒えるのを待っていたわけではない。脳の一部を切除したこともあり、当初は気分の浮き沈みが激しく、また発作が起きるのではないかとパニック障害を起こしたこともある。「長かったです。いろいろ大変でした」。出口が見えないトンネルに舞い込んだような日々もあったが、「本当に長い目で見守ってくれたNECや周りのみんなには感謝の気持ちしかないですね」と頭を下げる。
不思議なことに、だんだん復帰が近づくと「復帰したい」という気持ちより「勝ちたい」という気持ちが強くなったという。支えてくれたチームに報いたいという想いが膨らみ、土佐の中にある勝負師としての気質が目を覚ましたのだろう。背中を押してくれたハクスリー同様、素晴らしいカムバックを遂げた今は、てんかんをテーマとした講演会で自身の体験を伝え、患者やその家族をサポートする活動も行っている。
脳の手術をきっかけに、ラグビーに対する姿勢が変わった。それ以前は、とにかく思い切りプレーして勝つことだけを考えていた。だが、手術以降は「勝つだけじゃなくて、1個1個の練習にターゲットを作り、それをクリアしながらいろいろなものを吸収しながら、自分が今日どれだけ成長できたかを再確認する喜びに変えました」と話す。
さらに、土佐の将来に「指導者」という選択肢が加わった。ラグビーを辞めなければならないかもしれない。その現実を突きつけられた時、「なんか嫌だな」と思ったという。
「何も達成していないのに、ラグビーを辞めるのは嫌だったんです。自分でプレーできないんだったら、指導者になろうと思いました。ただ、トップリーグの選手だったから、いい指導者になるとは限らない。僕が選手だったら、そこに魅力を感じないだろうな、と。いろいろな国を経験を積み、いろいろな知識を持っている人に、僕は教わりたい。選手を続けるにしろ、指導者になるにしろ、結局ラグビーに携わらないにしろ、海外でいろいろな経験をしておいた方が自分のためになるし、これから自分と関わる人たちのためにもなると思ったんです」
開頭手術から復帰後、土佐が真っ直ぐな想いをそのまま伝えると、NECはニュージーランドへの短期留学を許可してくれた。NECが土佐の海外挑戦を後押ししてくれたのが、これが初めてではない。入社1年目には「文武両立の世界に憧れて」オックスフォード大学に留学し、ケンブリッジ大学との定期戦・バーシティーマッチに出場している。ニュージーランドから帰国後、NECで1シーズンプレーしたが、話し合った末に円満退社。今度はオーストラリアを目指し、シドニーの名門クラブ、イーストウッドで経験を積んだ。2017年に三菱重工相模原とプロ契約を結んだ後は大学院に通ってコーチングを学び、指導者としての知識を深めている。