[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

オールブラックスを感嘆させた伝説の“空飛ぶWTB” 76歳・坂田好弘がW杯後に描く夢

関西ラグビー生誕の地で日本代表への思いを語った坂田好弘氏【写真:吉田宏】
関西ラグビー生誕の地で日本代表への思いを語った坂田好弘氏【写真:吉田宏】

4トライをマークしNZを震撼させた“空飛ぶWTB”

 このエポックメイキングな試合で4トライをマークして、NZ人を感嘆させたのが坂田氏だった。当時の現地紙は“ブラック・マンデー”という見出しで、NZ人の誇りでもある“ジュニア”の敗北を嘆き、坂田氏の躍動を“空飛ぶWTB”と表現した。NZラグビー協会は、日本代表の次戦が行われる日はすべての試合を中止して、極東の島国から来たフィフティーンの戦いぶりを見るよう、全土に通達を出したという。

 当時の日本代表は、なぜ“世界最強の代表2軍”に勝てたのか。名将・大西鐵之祐監督が分度器をも駆使して、選手のランニング角度を研究、考案した戦略が基盤となったのは間違いない。その体現者である坂田氏は、当時の現実を踏まえながら、こう説明してくれた。

「我々のときは、相手との圧倒的な力の差があった。攻撃では当たらない、抜いていきたい、接触するプレーはできるだけしたくない。だから個人技を磨く必要があったんです。個人の技術は非常に高いものを持っていました。パスの技術にしろ、抜く技術にしろね。そして、エキストラマンを攻撃ラインに入れて、相手と当たらないでゲインラインを抜くようなプレーをたくさん持っていた。スクラムは組んだ瞬間にはボールが出ている。ラインアウトも、(世界で初めて)ショートラインアウトを使って、並んだ瞬間にボールを投入していた。相手が混乱しているうちにボールを取るようなプレーをしていました」

 サイズや体力の圧倒的な差を補うには、セオリー通りのプレーでは太刀打ちできない。まさに奇襲の連続で、相手を翻弄するのが当時の日本の戦術だった。“大西マジック”とも言われた歴史的勝利に貢献した快足WTBは、当時の日本代表と2019年の桜の戦士たちを、どう見比べているのだろうか。

「僕らの時代は省エネでトライをしようとしていた。でも、今の代表選手たちはエネルギーを持ってます。セットプレーから、しっかりとボールを出せている。ラグビーの一番基本のところができている。これは非常に大きなことです。その違いは大きいですね」

 WTB出身の坂田氏だが、ジェイミー・ジャパンの最大の進化と指摘するのは実はセットプレーだ。WTBがトライを取るのは坂田氏の時代も、福岡堅樹や松島幸太郎がトライを量産する今も同じだが、安定したボールがBKに供給できることが、“2019年版ジャパン”の特長と指摘する。そこには“予期”という力が加算される。

「いまの日本は、どの相手からもボールを出せている。(接点で)対等にボールを取り合っていますよね。セットが落ち着くんで2次、3次攻撃でもボールを出せる。それが計算できる。ボールが絶対に来るというのは、BKにとっては非常に楽なんです。ボールが出たら次に何をするかという想定を持ちながらプレーできる。

 出るか出ないかわからない状況では、BK全体が、プレーが始まった後に反応することになる。なので僕らの時代は、難しい判断のもとでプレーしていたんです。いまのジャパンだとボールが動きだす前にどういうプレーをするかわかっている。ボールが出ると確信しているから、次の正しい判断ができるんです。ボールを回すのか、キックを使うのかとね」

1 2 3 4

吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集