インタビュー

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インタビュー

「あとはここの波を究めるだけ」全てを知り尽くした海で狙うメダルへの道

2020年のオリンピックでサーフィン会場となる千葉県長生郡一宮町出身「環境としては日本で一番整っている場所」

 2020年。生まれ育った町が、東京オリンピックの会場となる。しかも、自身が出場とメダル獲得を目指す競技の舞台だ。そんな2度と起こりえないであろう偶然に恵まれたのが、22歳のサーファー、大原洋人選手だ。

「初めてにしては揃うものが揃い過ぎちゃって、逆に怖いです(笑)」

 サーファーだった両親の影響を受け、8歳から地元の海で波に乗った。九十九里浜の南端、太平洋に面した外房に位置する千葉県長生郡一宮町。人口1万2,500人ほどの小さな町だが、日本有数のサーフィンの聖地とされ、一年中乗れる波を目当てに全国から移住者が集まるほど。「始めた頃からプロサーファーを見ながらやるのが日常だったので、この人たちみたいになりたい、という想いを持つのが早かったですね。教えてもらうこともあったし、環境としては日本で一番整っている場所かなと、今になって思いますね」と振り返る。

 朝起きて波に乗ってから学校へ行き、夕方に帰宅すると再び海へ。日の短い冬場を除けば、サーフィンで始まり、サーフィンで終わる毎日を過ごした。地元の海が全てだった大原選手が初めて海外を意識したのは、小学校5年生の時だったという。

「オーストラリアに1か月くらいサーフィン修行のような形で行った時、日本のプロサーファーのレベルと、海外のトップ選手との差を感じたんです。日本のプロサーファーみたいになりたいと思っていたのが、その時から海外のトップ選手と同じくらい上手くなりたいと思うようになって。日本の同世代とサーフィンをしているだけでは、海外の上手い人たちのようになれないんじゃないか。そう思って、海外の同世代の選手と試合をしたいと考えるようになりました」

 もっと上手くなるために海外で試合をしたい――。経済的な負担を減らすためにスポンサー契約を勝ち取ろうと、2010年、13歳の若さでプロに転向。オーストラリア、アメリカと戦いの場を広げて、同年にいきなりワールドサーフリーグ(WSL)のU-16年間チャンピオンに輝いた。

 自ら望んで羽ばたいた世界は「もう楽しくてしょうがなかったですね」という。中学生の時は学校が休みに入ると海外に出掛けていたが、通信制の高校に進学してからはアメリカのハワイを拠点とし、世界のトップ選手たちを見ながら技を磨いた。よりサーフィンに集中できる環境に身を置くことで、練習との向き合い方にも変化が生まれたという。

「楽しんでいるだけでは上手くなるのも遅くなってしまう。年を重ねていくごとに周りも上手くなってきて、試合で勝つことが大変になった。確実に毎回勝てるサーフィンは何なのか。そこを考えて、練習でも意識するようになりました」

波に乗る技術だけではなく、他のサーファーと繰り広げる巧みな駆け引きも技術

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 サーフィンの試合は、通常「ヒート」と呼ばれる組み分けをする。多くの国際大会では、4人が1ヒートに入る4メンヒート方式を採用している。4メンヒート方式の場合、4人が同時に海に入り、得点が高い上位2人が勝ち抜ける。波の状態にもよるが1ヒートは約20〜30分で、波に乗っていい本数であるマキシマムウェーブの判定が付かない限り、ヒート中は何本でも波に乗っていい。5〜7人のジャッジが行う採点は、技の種類や難易度、オリジナリティ、スピード、パワーなどで評価。点数の高かった2本の合計点で順位を争う。

 また、波に乗るための優先権を決めるためにプライオリティルールを採用。このルールでは、ヒート開始直後はプライオリティがないため、最初に波に乗ったサーファーから順番に一番低いプライオリティを持つことになる。つまり4メンヒートの場合、最初に波に乗ったサーファーが4番目のプライオリティを持ち、次のサーファーが波に乗れば、その分繰り上がる。そのため、波を待つ間も他のサーファーをいい波に乗らせないよう巧みにブロックしたり、少しでもいい位置を確保するためにフェイントをかけたり、細かな駆け引きが繰り広げられている。波に乗る技術だけではなく、相手との巧みな駆け引きもサーファーに求められる技術なのだ。

 大原選手が参戦するWSLには、世界最高峰のプロツアーとされる「チャンピオンシップ・ツアー(CT)」と、CT入りを目指すサーファーが競う「クオリファイング・シリーズ(QS)」がある。CTの参戦資格を得るためには、まずQSに参戦し、男子はQS年間ランキングでのトップ10入りを果たさねばならない。QS年間トップ10入りを目指す大原選手は、2015年にカルフォルニアで行われたQSの「Vans USオープン・オブ・サーフィン」で日本人として初優勝。2017年は「コミュニティプロジェクト・セントラルコーストプロ」、2018年には「Vansプロ」で優勝を飾るなど、着実に実力をアップさせている。今年はQSで4戦を戦い、年間ランキングは8位(2019年6月25日現在)。目標とするCT参戦にあと一歩まで迫っている。

全てを知り尽くした海で行われるオリンピック「あとはここの波を究めるだけ」

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 大原選手には、もう一つ目標がある。サーファーとしての第一歩を踏み出した海、地元・一宮町の釣ヶ崎海岸が舞台となる東京オリンピックに出場することだ。文字通り、全てを知り尽くした海。東京オリンピックの開催が近づくにつれ、一宮町での試合に参加するたびに「ここだったら出られるんじゃないか」「勝てるんじゃないか」という思いを強めた。

「一宮はサーフィンを始めた場所であり、日本にいる間はほぼ毎日サーフィンをしている場所。他の人に比べたら……というのは思います。波質だったり雰囲気だったり、全ての状況でサーフィンをしているので、どんなコンディションになっても迷ったり不安要素が出てくることはない。そういう自信というか安心感があります。あとはここの波を究めるだけ。そんな感じじゃないかと思います」

 オリンピックで狙うのは「表彰台に上がること」。メダルの色は「金でも銀でも銅でも、何でもいいです」と屈託なく笑う。サーフィンが東京オリンピックの追加競技候補として噂されていた2014年に開催されたソチオリンピックをテレビで見ながら、これまで無縁だと思っていた世界が急に身近に感じられた。2020年、自分が表彰台に上がる風景が、ふと脳裏をよぎった。

「表彰式を見ていて、もしかしたら自分がそこに立てるかもしれないと思ったら、涙が出そうなくらい感動しちゃって(笑)。銅メダルだった選手も金メダルを獲った(選手と同じ)くらい喜んでいて、自分が銅メダルでもこのくらい喜ぶだろうなと思ったんです。普段はどれだけ大きい試合で表彰台に上がっても、隣に優勝した人がいると『やっぱり優勝したかったな』と感じるけれど、オリンピックは出場することに価値があって、表彰台に上がることに価値がある。多分違うんだな、と思いました」

大原選手が願うサーフィンの普及「僕も重要な役割を任されていると思います」

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 オリンピックに出場できるのは男女各20名で、国別出場枠は男女ともに最大2名ずつとなる。男子は、2019年CT年間ランキング10位以内、2020年ISA(国際サーフィン連盟)ワールドサーフィンゲームスで4位以内、2019年ISAワールドサーフィンゲームスでアフリカ、アジア、ヨーロッパ、オセアニアの各最高順位、いずれかの条件を満せば出場可能。その他、開催国である日本は男女1枠ずつが保証されている。

 CTに参戦していない大原選手にとって、まず出場権を獲得できる可能性を持つのが、今年9月7日から15日まで宮崎県で開催される「2019ISAワールドサーフィンゲームス」だ。世界各国から集まるトップ選手たちの試合を日本で観ることができるこの大会の開催には、スポーツくじ(toto・BIG)の収益による助成金が役立てられている。大原選手も「日本で開催される世界大会は、小さい子やサーフィンが上手くなりたい人は絶対に観に来た方がいい。世界のトップ選手が(魅せる)想像もつかないようなサーフィンを目に焼き付けるいいチャンスだと思います」と、国際大会の開催が競技普及に果たす意義について触れた。

 子どもから大人まで幅広い年齢層の人々が、気軽にサーフィンを楽しめる。そんな発展を遂げることを、大原選手は期待している。

「今よりサーフィン人口がもっともっと増えてほしいなという気持ちはあります。もっと試合に出る子どもたちが増えれば海外で戦える選手も増える。何よりもプロとしてサーフィンだけで生活できる人が増えるようになってほしいですね。日本では、アルバイトをせずに海外の大会に出られるのは、まだ限られた人たちだけです。プロとしてサーフィンに専念できる人が増えれば、他の仕事にあてていた時間を使ってスクールで教えたり、取材機会が増えたり、より多くの人にサーフィンを知ってもらえる。だから、僕も重要な役割を任されていると思います」

 2024年のパリオリンピックでも追加競技として承認されたサーフィン(2020年12月に最終決定の予定)。「次のオリンピックでも実施されるなら出たいです」と、すでに東京のその先もしっかり視野に入れている。「サーフィンをやりながら、もっともっと多くの人にサーフィンを知ってもらえるようにしていきたいです」。サーフィンの魅力を伝える活動は、まだまだ始まったばかりだ。

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大原 洋人おおはら ひろと

1996年11月14日、千葉県生まれ。両親の影響を受け、8歳からサーフィンを始める。2010年、13歳のときに日本サーフィン連盟(NSA)が主催する全日本選手権で優勝し、U16年間チャンピオンに輝いた。同年、中学校2年生にして日本プロサーフィン連盟(JPSA)公認プロに転向。海外にも活躍の場を広げると、ワールドサーフリーグ(WSL)ではU16年間タイトルも手に入れた。高校進学後は拠点をアメリカ・ハワイ州に移し、世界を相手に技術を研鑽。2015年にカリフォルニア州ハンティントンビーチで行われたWSLのクオリファイング・シリーズ(QS)「Vans USオープン・オブ・サーフィン」で日本人初優勝の快挙を達成すると、2017年には「コミュニティプロジェクト・セントラルコーストプロ」で優勝。2018年にも「Vansプロ」で頂点に輝くなど、着実に実力を付けてきた。2019年も安定した成績を残し、QS年間ランキングは8位(2019年6月25日現在)。生まれ故郷の一宮町で行われる東京オリンピックでの表彰台を目指す。

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