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バスケ人生を切り拓いた1通の手紙 沖縄の無名中学生→仙台の日本一高校へ、背中押した母の一言

明成の佐藤久夫監督に手紙で伝えた情熱

 全国の選りすぐりの好プレーヤーが揃う名門に山内が進学した経緯は、彼の人となりを象徴する非常にユニークなものだ。

 話は小学6年生の頃に遡る。地区選抜の一員に選ばれた山内は、コーチにある映像を見せられた。明成の佐藤久夫監督(2023年逝去)が練習メニューを指導する映像。明成に練習を見学しに行ったことがあるというコーチの話もあいまって、「こういうチームに行けば、自分にとって良い未来を切り開けるのかもしれない」とぼんやりと感じた。

 明成は八村を擁した2013年から2015年にかけてウインターカップ3連覇を達成。黄金期を目の当たりにした山内の思いはさらに強まった。しかし沖縄在住、県大会1回戦負け、セレクション歴なし、身長180センチに満たない山内に当然誘いの声は届かない。

 県内のいくつかの高校からは「うちに来ないか」と声がかかっていた。しかし、プロになるという夢を叶えるためには明成に行くしかないと意志は固かった。そんな息子に母が助け舟を出した。

「監督に手紙を書いてみたら?」

 山内は頭をかきながら、手紙の内容をなんとか思い出してくれた。

「どこの出身で、選抜はここまでしか行けなくて、とか……。あとは何を書いたっけ。たしか『自分はこういうことができます』と持ち味を書きました。アタックができて、外のシュートも確率良く決められて、フィジカルも強くて、身長もまだまだ伸びている。だから練習を見てくださいって。とにかく見てもらいたくて熱量を伝えたと思います」

 後日、電話が鳴った。「とりあえず練習に来てみなさい」と佐藤監督に言われ、母と2人で仙台に飛んだ。まわりは全国や地方ブロックで活躍したり、アンダーカテゴリー代表候補に選出されたような選手ばかり。練習後、母づてに『考え直したほうがいいのでは』と言われたが諦めきれず、何度か練習に参加しているうちに入部が認められた。

 全国レベルを体感したのは、この時が初めて。先輩たちやまわりの選手たちとの実力差を痛感し、「やっぱり自分には無理なんだ」と考えてもおかしくない状況だったが、山内は違った。理由を問うと、山内は言った。

「もちろんネガティブにも考えましたが、どこかで『いや、俺はできる』って思うところもあって、それを頼りに行動したのかなっていう風に思います。根が楽観的なのかな(笑)。求められて来たわけじゃないし、とにかくやってきたことを信じて自分を見せていかないと認めてもらえない。とにかくハングリーな気持ちでやっていかないといけないし、そうしたらどこかで認められると思っていました」

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