サッカー以外に武器はあるか? 元Jリーガー社長が語る引退後の進路選択で大切なこと
年間100人が留学、米国から途切れない問い合わせ
日本人選手2人の活躍は些細な出来事ではあったが、思わぬ反響があった。ある日、SNSを通じて、日本人選手2人が加入した大学のライバル校の監督から連絡が入った。
「ウチは今まで、あの大学に一度も負けたことがなかった。ところが日本人が入ったら2連敗だ。ウチの大学には、彼らより上手い選手を2人送ってくれ」
もちろん、中村は最初に日本人選手を受け入れてくれた監督との関係を大切にした。
「彼が監督を退くまでは、最高の選手を送り続けましたよ」
それからは「倍々で」ビジネスが広がっていった。今では連日、米国の大学関係者から問い合わせが途切れない。
「僕らのルールとして、前年送った大学へ次の選手も送るというやり方はしない。現在、年間で100人を米国の大学へ送り込んでいますが、常に一人ひとりと向き合って個々に適した大学を探すようにしています。つまり毎年新しい進路が100通りできて、彼らの実績が積み上がりアップデートされている状態です」
米国の大学関係者は単に日本人選手を求めるのではなく、自チームにフィットする選手を正確にマッチングしようとする中村の目利きに期待を寄せ、補強のアドバイスを求める。
コロナ禍前は、3~7月まで毎月のように関東、関西地区を中心に国内でトライアウトを実施。視察を希望する米国大学の関係者が多過ぎて、10名前後の招待枠を競い合っているそうだ。
「最近では高校時代からU-23チームでJ3でのプレー経験を持つ選手が、ニューヨークの大学へフル特待生で行き、現在J1で活躍中のアンダーカテゴリーの日本代表選手は、もしトップに昇格できなかった場合は、米国留学をする予定でした」
また、かつてルイビル大学で10番を背負った選手は、十分にプロへ行く実力の持ち主だったが、ビジネスに興味を持ち同校のコーチをしながらMBA(経営学修士)の取得を目指している。