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女子ホッケー湯田葉月、豪州挑戦の理由 五輪落選後に下した「自分のために」戦う決断

今年2月、女子ホッケー元日本代表の湯田葉月が、9年間所属したコカ・コーラレッドスパークスを退団。3月にオーストラリア・メルボルンへと飛び立ち、キャンバーウェル・ホッケークラブで、新シーズンのスタートを切った。

女子ホッケー元日本代表の湯田葉月【写真:もろだこずえ】
女子ホッケー元日本代表の湯田葉月【写真:もろだこずえ】

2月に9年間所属したチームを退団、キャンバーウェル・ホッケークラブに所属

 今年2月、女子ホッケー元日本代表の湯田葉月が、9年間所属したコカ・コーラレッドスパークスを退団。3月にオーストラリア・メルボルンへと飛び立ち、キャンバーウェル・ホッケークラブで、新シーズンのスタートを切った。

「リオ五輪後から、海外リーグに挑戦したいという気持ちが、ずっと消えませんでした。これまで、五輪の東京開催、チーム状況もあって踏ん切りがつかなったのですが、五輪も終わり、後輩たちも育ってきた。選手としてのキャリアがどこまで続くのかは分からないけれど、残された時間は長くはない。そう考えた時、やりたいと思うことをすべてやり切ってから競技人生を終わりたいと思い、海外挑戦を決めました」

 小学生の時にフィールドホッケーを始めた湯田は、高校3年時に初めて日本代表に選出。アメリカ代表との試合が初の代表戦となった。

「代表チームのユニフォームに袖を通し、ピッチに立ち、国歌斉唱をした時は感動しました。ここに立てたんだ、という気持ちと、“これからやな!”という想い。この1回で終わるのではなく、代表であり続けるぞ、と気持ちが昂りました」

 以前から、他国の代表チームが来日すれば必ず観に行った。上手い選手はどういうプレーをするのか。自分にできそうなことを拾っては、取り入れた。「代表になれば、海外の強い選手たちと試合ができる」。それが強いモチベーションになった。

 高校卒業後はホッケーの強豪、天理大へと進学したが、自身の思いに様々な矛盾を感じ始め、大学2年時にホッケー部を退部。大学を休学し、オーストラリアに短期留学をした。

 一時期は、「もう、ホッケーをやることはない」と思っていた。プレーを再開したきっかけは、留学先のオーストラリアで観戦した男子ホッケーの試合。「単純なので(笑)、“やっぱりホッケーはカッコイイ!”と思って」現地のクラブチームに所属。帰国後も、いくつかのチームでプレーしたり、高校生に教えるなど、ゆるくホッケーを楽しんでいた。

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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