おもちゃ営業の元DeNA戦士 パソコン扱えなかった戦力外当時から8年「想像できない成長」
球界に残らなかった理由「パソコンでメールも送れない…」
トライアウトを受けるのは1度だけと決めていた。「家族がいましたし、1人だったら何してもいいかもしれないけれど、とにかく生活をしないといけない」。4日後の朝、野球生活で苦労をかけた妻に伝えた。「次の就職先を探します。ありがとうございました」。自分の中で踏ん切りはついていた。
DeNAからスクールの事業に携わる仕事を打診されるなど、球界に裏方として残るという選択肢もあった。ただ、内藤さんは野球以外なにも知らない自分に不安を覚えていた。
「アルバイトもろくにしたことがないですし、世の中何もわからない人間でその時点まで来てしまった。パソコンでメールも送れない、タイピングも分からない。これはまずいと思って……まずは一度外で働かせてもらい、なおかつ野球も少し関わりながらの方がいいんじゃないかなと考えました」
セカンドキャリアのスタートとして選んだのは、スポーツ大型専門店「スポーツオーソリティ」での業務。販売スタッフをしつつ、野球教室などで地域貢献にも携わり、2年間で社会人経験を積んだ。その後、2016年1月から現在の勤め先・カシマヤ製作所で働いている。
転職のきっかけは2015年。以前から米国のFranklin(フランクリン)玩具の日本代理店となっていたカシマヤ製作所が、この年から野球の打撃用手袋「Franklinバッティンググローブ」においても日本総代理店となったことだ。当時は横浜市内のスポーツオーソリティに務めていた内藤さんのもとに、プロ野球選手を紹介してほしいとの依頼があった。
カシマヤ製作所の社長・西上茂氏とともに、DeNAに在籍していた石川雄洋、筒香嘉智の下を訪問。バッティンググローブを売り込み、使ってもらえることになった。これがきっかけでヘッドハンティングされた内藤さんは「ステップアップになると思い、有難くお話を頂いた」と新しい環境に身を投じることになった。