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2度の戦力外通告で転身 元日本ハム外野手が「野球より好きになった」仕事で生きる今

日本におけるプロスポーツの先駆けであり、長い歴史と人気を誇るプロ野球。数億円の年俸を稼ぎ、華やかにスポットライトを浴びる選手もいる一方、戦力外通告を受けて現役生活に終止符を打ち、次のステージで活躍する「元プロ野球選手」も多くいる。

14年間のプロ生活を送った鵜久森淳志さん【写真:本人提供】
14年間のプロ生活を送った鵜久森淳志さん【写真:本人提供】

連載「Restart――戦力外通告からの再出発」第2回、鵜久森淳志はライフプランナーに転身

 日本におけるプロスポーツの先駆けであり、長い歴史と人気を誇るプロ野球。数億円の年俸を稼ぎ、華やかにスポットライトを浴びる選手もいる一方、戦力外通告を受けて現役生活に終止符を打ち、次のステージで活躍する「元プロ野球選手」も多くいる。

 そんな彼らのセカンドキャリアに注目し、第二の人生で奮闘する球界OBにスポットライトを当てる「THE ANSWER」の連載「Restart――戦力外通告からの再出発」。第2回は日本ハム、ヤクルトで14年間のプロ生活を送り、現在はソニー生命保険株式会社でライフプランナーとして活躍する34歳・鵜久森淳志さん。

 愛媛・済美高時代から注目されたパワーヒッターは、顧客の送りたい人生をサポートするため日々の仕事に邁進している。球界とは全く畑違いとなる金融業界に転職を決意した経緯、今後の人生で成し遂げたい目標などを語ってくれた。(文=THE ANSWER編集部・宮内 宏哉)

 ◇ ◇ ◇

 東北・ダルビッシュ有(現パドレス)、横浜・涌井秀章(現楽天)ら“86年生まれ世代”が甲子園を沸かせた2004年。高校野球界に旋風を巻き起こしていたのは済美だった。名将・上甲正典監督率いる愛媛の新鋭校は、創部2年目で春のセンバツに初出場し、初優勝。夏も準優勝と躍進した。「4番・左翼」で打線を引っ張ったのが、鵜久森さんだ。

 あれから17年が経ち、34歳になった今、ビジネスマンとして活躍している。高校卒業後は04年ドラフト8位で日本ハムに入団。同期にはダルビッシュがいた。高校通算47本塁打の実績を引っ提げ、「将来の4番候補」と期待されたものの、ヤクルトを経て、31歳だった18年限りで現役引退。19年1月ソニー生命保険株式会社に入社し、現在は千葉・柏支社に勤めている。

 肩書は「ライフプランナー」。厳格な採用基準をクリアし、保険はもちろん、経済・金融・財務などに関する幅広い知識を兼ね備え、顧客に「どんな人生を送りたいか、どう生きたいか」を問いかけながら“共同作業”で未来を形作っていく仕事だ。

 189センチの恵まれた体に白いワイシャツをまとった元スラッガーは「もちろん保険の見直しなどの相談もありますが、『住宅の購入にあたって不安なんだ』とか、いろんな要望にお応えしながら、何が最善かを分析しています」と笑う。コロナ禍以前は、依頼があれば北海道から九州まで飛び回った。業務の合間には保険にまつわる勉強も欠かせない。多忙な日々を送るが、「お客様と話すのが凄く楽しい」と充実感を漂わせる。

「未来の4番候補」から「保険営業職」への転身。その過程に、どんなきっかけがあったのだろうか。影響を受けた人物が2人いる。

 日本ハムに所属していた2015年オフ。戦力外通告を受け、12球団の編成担当らの前で実力を披露する「トライアウト」を受験。その会場で、ある人物から名刺をもらった。現支社長の落合大輔さんだ。トライアウトは一般企業の採用担当者も体力や気力、継続力に優れるプロ野球選手という人材を求めて集まる。落合さんも、その1人だった。

 当時はヤクルトからオファーを受け、現役続行した。3シーズンを過ごしたものの、18年オフに2度目の戦力外通告。再びトライアウトに臨んだが、今度は獲得球団が現れず、大きな岐路に立たされた。この頃、定期的に連絡をくれていた落合さんに、改めて声をかけてもらった。ただ、直接的な誘いをされたのではない。問われたのは「どういう人生を送り、どういう生き方をしたいのか」。これが、転機になった。

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