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足の遅い子が「放置されている」日本 ボルトと練習し“100mを1秒”縮めた男の夢

和田賢一【写真:小林靖】
和田賢一【写真:小林靖】

誰にでも理解できる「走りの教科書」を広める活動を実践

 これまで和田は様々な競技の選手たちに指導をしてきたが、陸上以外のアスリートの大半はスプリントテクニックが身についていなかった。一方で「速く走る」という課題を克服すれば、確実にステップアップが望める選手たちが溢れていることも判った。

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「足が速くなりたいと願うほとんどの人が陸上競技をやっていません。僕はこの人たちを助けたいんです。足が速い人をさらに速くするのは陸上関係者に任せておけば良いわけですからね」

 中高時代の和田は、失敗を恐れるあまりボールが投げられなくなるイップスに苦しんだ。だが「失敗してもいいじゃない」という友人の言葉に救われ、大学時代には4つの競技に挑戦してきた。そして大学卒業を控えてライフセービングに出会い、誰かを護ることの素晴らしさを知った。

 失敗を怖れなくなり、和田の生き方は一変した。誰もが無理だと思うチャレンジにも、果敢に突っ込んでいくようになった。世界一のスプリンター、ウサイン・ボルトの懐に飛び込み、とうとう自宅にも招待された。

「うっそだろ~!」

 周りの選手たちは、一様に目を丸くした。
100メートル11秒8だった26歳が、わずか3か月で1秒短縮をしたことを聞いたら「無理だ」と言い切った多くの陸上関係者も同じ言葉を発するだろうか。

 イップスも「無理だ」の声も克服した和田は、だからこそ同じ夢や希望を多くの人たちと分かち合いたいと思う。「足の速さは才能だ」と諦める日本の常識を覆すために、誰にでも理解できる「走りの教科書」を広める活動(走り革命)を実践しているのだ。

 もちろん和田自身も、今、果てない夢を追っている。ビーチフラッグスで伝説のチャンピオンと言われたサイモン・ハリスを超えることだ。ハリスは全豪選手権で11度の優勝を果たし怪我で引退した。まだ和田の最高成績は全豪準優勝。だが「12回優勝したら辞めます」と言い切る。

――ええ!? いくつまで競技を続けるの?

「50歳まで大丈夫です」

 無理だよ、という言葉は呑み込んだ。

 和田はまだその先に「誰もが誰かのライフセーバーになる」、つまりみんなが個性を尊重し高めあう温かな社会作り、という大仕事を見据えている。

(終わり)

[プロフィール]
和田賢一(わだ・けんいち)

1987年12月8日生まれ。日本のビーチフラッグス第一人者でビーチフラッグス全日本選手権3連覇、世界最高峰の全豪準優勝。走力を磨くために単身ジャマイカに乗り込み、3か月間ウサイン・ボルトとともにトレーニングを積み、100メートルのベストを一気に1秒更新。誰でも速く走れる「走り革命理論」を確立し、トップアスリートをはじめ日本中へと広め、走ることの成功体験を通じ、子供が夢に向かって一歩を踏み出す勇気を届ける講演を行っている。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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