[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

「イップス」に悩んだ球児を変えた成功体験 内気な少年がボルトに学ぶようになるまで

“世界一”を目標に掲げるなかで出会ったビーチフラッグス

 統一テストを2か月後に控え、和田の模擬試験の成績は500人中470番台だった。だがこの絶望的な状況でも、諦めずに全力を尽くした。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

「勉強は野球と違い自分に集中すれば良いので、緊張せずに行えることが嬉しかったのかもしれません。結果は、なんと合格でした。小学生の“あの時”以来、僕は周りの人から否定されることに怯えながら生きていました。そして何より自己否定をするようになっていたんです。しかし勉強で成功を体験し、自分にもできることがあるのかもしれないと、小さな希望が芽生えてきました」

 大学4年間では、何かで世界一になろうと、テニス、総合格闘技、サーフィン、ダブルダッチに挑んだ。しかし夢には届かず、目標を「世界一のトレーナー」に変えた。その第一歩として心肺蘇生法を学ぶ必要があり、そこでライフセービングと出会うのだ。

「さすがに甲子園に行けないのにプロは無理だろうと、高校でプロの夢は断ち切りました。それまでずっとボールを投げられないフラストレーションを抱えて来たので、大学では何か打ち込めるものを探したんだと思います。世界一という高い目標を立てたのも、自分でやり切ったと納得するためでした」

 ビーチフラッグスでは、遂に世界一が視野に入って来たので、単身オーストラリアに飛び世界チャンピオンの傍でトレーニングを積んだ。

「オーストラリアでは生活費を稼ぐために、東南アジアからの出稼ぎ労働者たちと一緒にラズベリー農場へ送り込まれ、アルバイトをしたこともあります。どう見ても3人しか入れない部屋に12人くらい押し込まれ、ベトナム人のボスにこき使われて大変な思いもしました。でも自然に生きる力がついて『なんでもやってやる』という強いメンタルが養われてきたんです。大学までは内気で女の子と話すこともできなかった。それがどこへでも躊躇せずに出て行き直談判を厭わない、そんな新しい人格が形成されました」

 長い苦闘や逆境を経て、和田には「不可能」のレッテルも平然と剥がし、可能にするために邁進していく超ポジティブなメンタリティーが備わった。

1 2 3

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集