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ボルトも吐きながら走っていた “世界2位の日本人”が体感した「天才」コーチの練習

和田賢一は速くなるため、走りを追究した【写真:小林靖】
和田賢一は速くなるため、走りを追究した【写真:小林靖】

才能だけではないボルトの速さ、走り過ぎて気絶した選手を2人も目撃

 一方和田を待ち受けていたのは、走る以前に自分を認めてもらうための闘いだった。トラックに顔を出しても、紹介も指示もなく勝手にトレーニングが進んでいく。

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「ここでは自分から動き出さなければ何も始まらないんだな……」

 そう感じて一人ひとりに挨拶して回ると、取り敢えず中国人を略して「Chin」と呼ばれるようになるが、そこで妥協するわけにはいかなかった。

「オレは中国人じゃない。日本人だ!」

 これで呼称は「JAPAN」に修正された。

「いやいや、オレは国じゃない。ケンと呼んでくれ」

 結局、名前を呼んでもらうまでに1か月を要した。

 ただしこの間も和田は、速く走るためのヒントを見つけ出そうと徹底してボルトに張りついた。ボルトと一緒に、あるいは後の組で走り、脳裏に映像を焼きつけて帰る。寮では自分の走法との違いを書き出し、改善の仮説を立ててはトラックに出て検証を繰り返した。

 ボルトが持って生まれた才能だけで世界一になったわけではないのは明白だった。ここでのトレーニングの厳しさには定評があり、ボルトは毎日のように吐きながら走っていたし、和田は滞在中に走り過ぎて気絶した選手を2人も見た。またボルトの両親が駿足だったわけではないし、兄や妹も陸上選手だが特別に優秀なわけではない。

 実際ボルトは、100メートルスプリンターの理想像にはほど遠かった。ボルトが登場する前に世界選手権の100メートルを制したタイソン・ゲイは178センチ。196センチは長身過ぎるし、脊髄側弯症の影響もありストライドが左右で20センチも違った。当初グレン・ミルズコーチは200メートルを中心に400メートルも視野に入れていた。ところが400メートルの準備が不十分なまま大会が近づき、急きょ代わりに100メートルを走らせてみたら10秒30をマーク。ぶっつけ本番としては破格の記録で、可能性を感じ軌道修正を施していく。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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