サニブラウンは“世界基準”で生きていた 米国人コーチが告白した2年間の成長曲線
苦労しながら環境に適応、ライト氏「みんな彼のことが大好きさ」
慣れない環境に一人で身を置くことに孤独を感じる日もあっただろう。それでもライバルが支えになった。サニブラウンは学業において「イベントをやってみたい。米国だけでなく、ヨーロッパとの懸け橋になれれば」とスポーツマネジメントを専攻。チームには米国中から実力者が集まり「英語のアクセントで訛りが酷くてわからないこともあった。最近は慣れてきたけど、そこが一番苦労したかな」と言う。
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練習を終えて午後7時に帰宅すると、夜中まで机に向かうこともあるという。今ではチューター(家庭教師)を付けずに一人で勉強できるまでになった。ここまでハイレベルな文武両道の環境を、国内で見つけるのは簡単ではないだろう。この2年間について「米国の全く違う環境で練習して、勉強も言語も違う中、いろんなことを練習して、今年はいい成果を見せられたのかなと思う」と振り返った。ライト氏は生活面での苦労を感じながら、米国に適応していく過程を明かした。
「少しタフな取り組みだったと思う。でも、チームやコーチが手助けしてくれたんだ。基本的には、自力で何でもできるようになった。もし助けが必要なら、フロリダ大が手助けしてくれる。それを彼は理解しているよ。
それに彼はとても社交的な性格。彼は心を開いたんだ。よく話すようになったし、オープンに話す。本当に楽しんでいるよ。英語は、米国に来た時よりもずっと良い。みんなと会話ができて、自分で街を歩き回ることもできるし、もう僕らと同じレベル。ハキームは面白いし、親しくなれば本当におしゃべりだ。みんな彼のことが大好きさ」
2年前の日本選手権と同じく、今年も大雨が続いた大会。“雨男”と自嘲するサニブラウンは、29日の200メートル予選後に「今日は雨で嫌々でしたけど。走るまでにまた降り始めて、他の人たちにすみませんって感じでした」と報道陣を笑わせた。20~30人の大人たちに囲まれても、物怖じせずに冗談も言える。今年は昨年までより1日多い4日間大会の長丁場となり「(疲労が)結構来てるけど、そろそろ休みたいな」とおどけ、正直に話す。生来の性格なのだろう。