自分の母国を「ワタシ、コロシマス」 日本ラグビーに忠誠心を捧げ…33歳で急逝した父を追う決断
高校卒業後、地元でラグビーをしている時に唯一誘ってくれた摂南大
「フィジーにいる時は、日本には『帰りたい』という気持ちでした。でも、向こうで暮らしている間は、そんなチャンスはほとんどなかった。高校を卒業して2年間、地元でラグビーをしているとき、唯一誘ってくれたのが摂南大だった」
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長らく摂南大を率いた河瀬泰治総監督は、ヴィリアメ来日の経緯をこう振り返る。
「パットがプレーした時代、トヨタで監督をされていた平井さんから相談があったんです。パットの息子を留学生で受け入れてほしいとね。必ずいい選手になるからと」
パットさんがヴィリアメのミドルネームに「ヒライ」と付けたことが、この日本人監督と快足トライゲッターの関係を物語る。あまりにも早くに世を去ったパットさんに代わって、平井さんが息子たちのことを支える。こんな太平洋を越えた絆も、パットさんの愛されるキャラクターの遺産のようなものだろう。
ヴィリアメが摂南大1年の冬にジュニア・ジャパン入りしたことで、父と同じ日本代表に入りたいという夢が現実的な目標に変わった。実はヴィリアメは日本生まれだったために日本代表有資格者だったが、本人は気付いていなかったのだ。
「日本に来た当時は、代表になれるかとは考えてもいなかった。いろいろなルールがありますからね。ジュニア・ジャパンに選ばれる時に、日本協会から僕にコンタクトがあるまで知らなかった。そこで、ああそうなんだ、正代表に選ばれるチャンスがあるんだと分かったんです。この時に、ようやく本気で代表に入りたいという思いになりました」
当時のジュニア・ジャパンにはSH齎藤直人(現東京SG)、No8福井翔大(埼玉WK)ら日本代表、リーグワンで活躍する仲間も多い。だが、ヴィリアメの卒業後の進路は容易には決まらなかった。
「大学3年の時に仲間は、社会人チームから声をかけられていた。でも自分にはあまり誘いはなかった。トヨタでプレーできれば最高だったが、きっと呼んでくれないと思っていた。だから、どんなチームでも声をかけてくれれば有難かった」
ヴィリアメのはやる気持ちに、河瀬監督は「トヨタでプレーするべきだ。他のチームに入る決断を急がず待つんだ」と何度も言い聞かせた。もちろん人事権はないが、平井さんらが、チーム、会社関係者にヴィリアメの入団を持ち掛け、プッシュしていたからだ。本人が4年生になってから、ようやく待望のオファーが届き、父と同じ深緑のジャージーに袖を通すことになった。
「すごくハッピーでしたね。兄(バティリアイ)もトヨタに入っていたので。息子2人が(父親とも)同じチームでプレーすることになりましたからね」
入団2シーズン目の22-23年はFB兼WTBで16試合中15戦に先発。今季はほぼWTBで、主に父と同じ11番を背負って13試合で先発メンバーに入った。チームで定位置を掴み、父も纏った桜のジャージーに手が届くところまで迫るが、ヴィリアメの自己採点は厳しい。
「(ヴェルブリッツで)プレー時間をもらったのはありがたいと思いますが、まだまだ自分のポテンシャルに近づけてない。この合宿に来ても、自分のベストのバージョンを見つけていくという点では本当に大きなチャレンジになっているなと感じています。特に伸ばしたいのはディフェンスですね。他には、選手とコミュニケーションをとって繋がっていくこと。僕は日本でベストじゃなくて世界でベストになりたいんです。そのためにはこういう選手たち、こういう環境、こういうコーチの中でプレーすることが第一かなと思います」