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箱根駅伝で“大博打”に出たNHKが全国中継したワケ たった3分間、一度だけ実現した知られざる過去

1月2日と3日、今年で100回目となる箱根駅伝が行われる。全国のテレビの前で、家族そろって母校や地元出身選手を応援するのは、日本の正月の風物詩となった。大会の発展の側面にはメディアの力も大きい。ラジオ、テレビと箱根駅伝。その歴史を振り返る。全3回の第1回。(取材・文=荻島 弘一)

今年で100回目となる箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る【写真:Getty Images】
今年で100回目となる箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る【写真:Getty Images】

日本の正月の風物詩・箱根駅伝とメディアの歴史を振り返る「第1回」

 1月2日と3日、今年で100回目となる箱根駅伝が行われる。全国のテレビの前で、家族そろって母校や地元出身選手を応援するのは、日本の正月の風物詩となった。大会の発展の側面にはメディアの力も大きい。ラジオ、テレビと箱根駅伝。その歴史を振り返る。全3回の第1回。(取材・文=荻島 弘一)

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 箱根駅伝が誕生したのは1920年(大正9年)、日本初の五輪選手でもある金栗四三が「世界で通用する選手育成」のために創設に尽力。母校の東京高等師範学校(現筑波大)、明大、早大、慶大の4校参加で行われたのがスタートだった。

 日本で本格的なラジオ放送が始まったのは5年後の1925年。野球など人気スポーツの中継が行わる中、箱根駅伝は技術的な問題で放送できなかった。野球場や体育館などで行われるスポーツは有線で対応できるが、ロードレースは無線が必須。初の放送は1953年(昭和28年)だった。この1か月後にはNHKがテレビ放送開始。さらに同年8月に日本初の民放として日本テレビが放送をスタートさせている。

 71年前のラジオ放送は往路、復路ともに録音をつなぎ、1位校のゴールが近くなってから生を交えて構成された。年々生中継の割合は増え、中継時間も伸びた。人気も上々、ラジオを手に沿道で声援を送るファンの姿も増えていった。もっとも、レースの注目度が高まり人が集まるようになれば、別の問題も起きる。

 2月に第1回が行われた大会は、その後交通事情を考慮して1月2、3日に定着した。確かに一般の交通量は少ないが、正月ならではの人出もある。神奈川県内には、多くの人が初詣に訪れる川崎大師、鶴岡八幡宮、寒川神社がある。交通量の問題から関係車両を削減する必要に迫られ、NHKの中継車も出せなくなった。1973年にはラジオ中継が中止されたのだ。

 元NHKスポーツ報道センター長で当時箱根駅伝のラジオ放送を担当していた杉山茂氏は「使うのが公道なので、中止は仕方なかった。もう放送はできないかと思っていました」と振り返る。しかし、リスナーは黙っていなかった。放送再開を求める声は大きく、翌74年には中継放送車の台数を制限しながら復活。以来、ラジオ中継(現在はNHK、文化放送、ラジオ日本)は途切れることなく続いている。

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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