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「いつもボッコボコにされて始まる人生」 非エリートのアマボクサー原田周大が日本一になるまで

アジア大会の銀メダルを手にする原田、左耳が潰れている【写真:日本ボクシング連盟提供】
アジア大会の銀メダルを手にする原田、左耳が潰れている【写真:日本ボクシング連盟提供】

逆境続きのボクサー人生、高1のスパーリングでも「ボッコボコ」に

 思いもよらぬきっかけで出会ったボクシング。最初はジムの桑原秀彦会長に基礎練習を徹底させられた。鏡の前でシャドーと縄跳びをする毎日。

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「めちゃくちゃ飽きる。でも、会長が怖くて、練習に来なかったら怒られるし、行ったら行ったで楽しくないし。最初の3週間くらい本当に楽しくなくて、サッカーに戻ってクラブチームに入ろうかなと思っていた」

 徐々にミット打ちなどができるように。3週間が経ち、桑原会長にスパー参加を許可された。外部ジムの選手と拳を合わせた後、会長から一言。「頑張ったな」。充実感を味わい、「ちょっと楽しいかも。もう少しやってみよう」とハマるきっかけとなった。

 ボクシングはヤンチャな人がやるものという昔ながらのイメージを根強く持たれているが、地味で過酷な練習を毎日コツコツとやれる人間しか続かない。「最初は挫折すると思う」と話す原田も、第一の壁を乗り越えた。

 基本の徹底で磨かれた左ジャブの連打が今も最大の武器。その大切さを思い知らされたのも「ボッコボコ」からだった。高校1年の時、2学年上にはインターハイと国体を制した川谷剛史がいた。スパーで対戦しても歯が立たない。「なんで負けるんだろう」と分析した結果、違いはジャブの上手さ。真似をすることでレベルアップした。

 2020年、専大入学直後にコロナ禍に見舞われた。外出禁止、部室すら使えない、時間だけはある寮生活。同期と寮内で練習したが、「ずっと暇を潰している」という感覚だった。数週間後、連絡を取った地元の同級生たちは仕事中。「俺、こんなことしていていいのかな」。大学の監督を通じ、空いているボクシングジムを利用させてもらうことで、より高い気持ちを取り戻しながら研鑽に励んだ。

 負けても、逆境に立たされても、ただでは起き上がらない。「何度も立ち上がり、強くなれるのはなぜなのか。子どもたちに聞かれたら?」という問いにこう答えてくれた。

「僕はナルシストというか、自分が大好きなんですね。だからこそ負けず嫌いになるし、どうしたら勝てるのか、勝つためにめちゃくちゃ本気で考えます。そうすれば、自分のことを客観的に考えることができて、足りない部分がわかってくる。みんなも自分を好きになって考えれば、絶対に弱点もわかってくる。その修正のために次は何をするのか。それを続ければ強くなれると思います」

 大学2年で全日本を制覇すると、3年時はフェザー級で2年連続優勝。だが、海外では負けが続き、足を止めずに打ち続けるボクシングに磨きをかけた。日本代表まで駆け上がり、迎えた今年5月の世界選手権。1回戦で格下のヨルダン選手と対戦した。「ここで勝たないとオリンピックなんて夢の話」。そう言い聞かせて臨んだが、またもボコボコにされる。

(20日の第5回「日本は甘かった 中央アジアのアマボクシング聖地、『練習量と人気』に驚いた原田周大の2週間」に続く)

■原田周大/Shudai Harada

 2001年10月2日、福岡・北九州市生まれ。22歳。中学1年でボクシングを始め、福岡・豊国学園高で国体準優勝。21年にバンタム級で全日本選手権初優勝。21年U-22アジア選手権は準優勝。22年はフェザー級で出場した全日本選手権で2大会連続優勝。23年5月の世界選手権は1回戦負けしたが、10月のアジア大会準優勝でパリ五輪代表に内定。

〇…全日本選手権が21日から6日間、東京・墨田区総合体育館で行われる。24年パリ五輪の世界予選トーナメント日本代表最終選考会を兼ねた大会。原田は出場しないが、すでに同代表に内定した男子ライトミドル級・岡澤セオンとともに中継のゲスト解説を務める。

(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)

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