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日本で「スーパーマリオ」と愛された男 元大洋ポンセ、MLBデビュー直後に来日即決の理由

日本行きを選択した当時を振り返ったポンセ氏【写真:羽鳥慶太】
日本行きを選択した当時を振り返ったポンセ氏【写真:羽鳥慶太】

来日は即決「メジャーに行っても給料が高くないのはわかっていた」

 当時の大洋には、ブルワーズから来日する助っ人が多かった。球団のスカウト部門が提携関係にあり、パイプが太かった。ポンセ氏は渉外担当だった故・牛込惟浩氏に口説かれると、迷いなく大洋入りを決めたという。

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「ブルワーズにはポジションがなくて、メジャーに行っても給料が高くはないというのは分かっていたからね。大洋は2年契約をしてくれるというし、考える必要もなかったね」。過去にフェリックス・ミヤーン(元大洋)やトミー・クルーズ(元日本ハム)ら、同じプエルトリコ出身の助っ人が活躍していたのも後押しになった。「彼らとも、日本はエキサイティングだという話をしたよ」。

 ポンセ氏は来日すると、いきなり打ちまくった。1986年は打率.322、27本塁打、105打点。ランディ・バース(阪神)が前年に続く三冠王を獲得したために無冠だったが、翌87年は35本塁打、98打点で打点王。88年は33本塁打、102打点で2冠を獲得した。それでもチームは、86年から4位、5位、4位、6位と浮上の気配が見えなかった。

 最初に出会った監督は近藤貞雄氏。中日でリリーフ専業の投手を誕生させるなど、アイデアマンとして知られた。「コンドーサンは物静かだったけど、とにかくアンパイアには熱かったね」と、退場の多さでも知られた激情家との日々を振り返る。

 スピードのある選手が多い一方で、パワー不足だった打線の特徴を生かそうとして指揮官が生んだのが「スーパーカートリオ」だった。高木豊、加藤博一、屋舗要と1番から快足打者を並べ、4番のポンセ氏もシーズン18盗塁したほどだった。「Bクラスのチームを、Aクラスにしようと努力していたのは良くわかる。でも……」。大洋が上位進出を果たせなかった理由を、どう見ているのだろうか。

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