ラグビーが「難しくなっている」 1試合で6回のTMO、リーグワン名勝負から考える最適な運用法
100年以上前から語り継がれる1つの逸話
ファンがどうラグビーを楽しんできたかという視点で考えると、もう一つ忘れてはいけない要素がある。ラグビー界で、100年以上前から語り継がれる逸話を紹介しておこう。
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
舞台は1905年12月16日、英国カーディフで行われたニュージーランド代表“オールブラックス”対ウェールズ。史上初の欧州遠征を行ったオールブラックスにとっては、31戦全勝という驚異的な成績で挑んだ最終戦だったが、記録上は0-3という小差で敗れている。終了直前の同点トライと思われたプレーを、レフェリーがノックオンと判定。そのままノーサイドとなったのだが、この判定を巡りニュージーランドの関係者、ファンの中には、今でもノックオンは誤りだという声がある。
当時は現在以上にレフェリーのジャッジは厳格で、異論を語ることさえ咎められる時代だったため、選手、チームがどんな判定も尊重する、ラグビーならではの精神を表す逸話としても語られてきた。だが、この逸話が物語るもう一つの価値は、いずれが正しいかではなく、時代を超えてその判定が正しかったのか、誤りかを議論することもスポーツの楽しみの一部だということだ。ここには、単なる勝ち負けを超えた豊饒な文化がある。
うんちくを加えておくと、この幻のトライをしたのはオールブラックスのCTB(センター)ボブ・ディーンズ。埼玉WKを率いるロビー・ディーンズ監督の叔父だ。そして日本でも1984年度の大学選手権決勝で、慶應義塾大のラストパスがスローフォワードと判定されトライが認められず、同志社大が当時前人未到の3連覇を果たした伝説のゲームもある。もちろん慶大フィフティーンは、レフェリーの判断を尊重しながら、心の中では今でもあのプレーはトライだと信じている。
肉眼でのジャッジは、プロラグビー選手からは「冗談じゃない。人生や生活を懸けてプレーしている身には、1つのミスジャッジが人生や生活を大きく変え兼ねない」という誹りもあるかもしれない。だがフランス代表の至宝、FL(フランカー)ジャン=ピエール・リーヴの金言を借りれば、異なる価値観も見えてくる。
「ラグビーは少年を男に成長させ、男を少年のままにさせる」
試合直後、1年後、そして100年後のスタンドや酒場で、「あのプレーはトライだった」「いや、ノートライだ」と大人げなく言い張り合い、パイントグラスを傾けるのもラグビーだ。
(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)