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広島中心部に現れる“サッカー専用”新スタジアム 構想20年、「常時満員」へ米国流から得たヒント

雨の中の逆転劇に湧くサンフレッチェ広島のサポーター。屋根なしのエディオンスタジアム広島での応援も今季限り【写真:宇都宮徹壱】
雨の中の逆転劇に湧くサンフレッチェ広島のサポーター。屋根なしのエディオンスタジアム広島での応援も今季限り【写真:宇都宮徹壱】

県と市と商工会議所の「宇品案」、クラブ側の「市民球場跡地案」

「街なかのスタジアムをぜひ実現したい」──。

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 久保のこの願いは、単にサンフレッチェ広島というクラブ単体の問題ではない。「広島の中心部がさらに活性化していくためには、やはり街なかにスタジアムを作ることが重要。それが、会長の考えでした」と信江は語り、こう続ける。

「問題は、どこにそれだけの土地があるのか、ということ。広島市は中四国では最大の都市ですが、平野部が少ないんですよね。そうなると、スタジアムを建設できる土地の候補は、おのずと限られてくるわけです」

「街なかのスタジアム」という動きは、実は日韓ワールドカップ開催翌年の2003年を起点としていた。前年のワールドカップでは、ビッグアーチに屋根を架ければ「間違いなく会場に選ばれる」とされていたが、財政難を理由に広島市が断念。2002年の祝祭ムードから、広島は除外されることとなる。とはいえ、祭典は終わってもJリーグは続く。それからスタジアム完成まで、実に20年に及ぶ自治体との交渉が続くこととなった。

 クラブ側は当初、広島カープのかつてのホームグラウンド、広島市民球場の跡地を想定していた。これに対して、広島県と広島市と商工会議所が提案していたのは、南区宇品にある「広島みなと公園」。広島駅からは、バスと路面電車を乗り継いで35分ほどの距離感だ。紆余曲折を経て2016年8月、スタジアムの立地に関する4者会議が実現する。

「県知事、市長、商工会議所の会頭、そして弊社会長による会議の場がもたれました。そこで新たに提案されたのが、中央公園広場でした。県と市と商工会議所は宇品みなと公園、我々は市民球場跡地。そこに第3の候補として『中央公園広場』という案が出てきて、9月の会議で4者の合意に至りました」

 宇品や市民球場跡地では、どちらも妥結しない。そこで、新たな候補地として浮上したのが、中央公園広場。落としどころとしては悪くない、否、むしろベストの選択だったように思える。確かに「街なかのスタジアム」という点で、市民球場跡地は最適だったのかもしれない。しかしながら、そこにスタジアムを建設する場合、さまざまな制約があったと信江は明かす。

「市民球場跡地は、中央公園広場に比較すると面積が狭く、原爆ドームの前なので、高さ制限もあるんですね。そのため現プランのようなサッカースタジアムと公園がひとつになった、試合のない日も多くの人でにぎわう『スタジアムパーク』の実現は難しかったでしょう。むしろ『街なかをホームスタジアムにしたい』、そして『年中にぎわうスタジアムにしたい』という意味では、結果的に中央公園広場という選択がベストだったように思います」

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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