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日本は「安全で良い人ばかり」 来日18年の元J助っ人、愛息を千葉の強豪校に入学させた理由

日本での生活は「欧州で抱えるようなストレスが一切なかった」

 EUROを終え、引き続きブルガリア屈指の強豪レフスキ・ソフィアでプレーしていたストヤノフに、「ジェフ千葉がセンターバックを探している」とエージェントから連絡が入ったのは、2005年のことだった。

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「この年の1月、レフスキ・ソフィアも千葉もトルコのアンタルヤでキャンプをしていたので対戦もしています。それから2、3か月間は交渉を重ねて合意しました」

 小さい頃から描いていた日本は、綺麗なマンションが立ち並ぶ大都会だった。

「職業がサッカー選手なので、どんなところに住むのも大丈夫だと思っていました。でも来日して、2か月間は市原市(千葉)でのホテル住まい。東京や大阪など大きな街をイメージしていたから、ちょっとショックだった。でもしばらく住んでみると、日本は本当に安全で良い人ばかり。欧州で抱えるようなストレスが一切なかった」

 千葉に移籍して約2か月後には、「この国にずっと住もう」と決めていた。(文中敬称略)

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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イリアン・ストヤノフ

元ブルガリア代表DF 
1977年1月20日生まれ。ブルガリア出身。現役時代は高い技術を備えたセンターバックで、母国の名門レフスキ・ソフィアなどで活躍すると、ブルガリア代表として2004年のEUROに出場した。2005年にジェフユナイテッド千葉に加入。イビチャ・オシム監督の下でリベロとして存在感を示すと、同年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)初優勝に貢献した。2007年からはサンフレッチェ広島、2011年からファジアーノ岡山でプレーしスパイクを脱いだ。引退後も日本に留まり、山口県でFCストヤノフサッカーアカデミーを開校。2021年にはカマタマーレ讃岐コーチを務め、今年から相生学院高校サッカー部のコーチに就任した。

加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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